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 アリスの鏡〜第1章 1話 

 ふと気付いたとき、加奈絵はそこにいた。
 右を見ると見渡す限りの草原。左を見ると、数メートル離れたところから広がる森。前と後ろはレンガが敷き詰められた道。
「・・・・・・・・・・どこ・・・・・・ここ・・・・・・・」
 加奈絵は呆然とあたりを見まわした。
 太陽が眩しいくらいの光で辺りを照らしていた。建物がないこともあって遠くまで見渡せる。
 もう一度周囲を見まわして、人影が無いのを見ると、加奈絵はその場に座りこんで考えこんだ。

 わたしは何をしてたっけ・・・・。

 加奈絵は、さっきまでネットサーフィンをして遊んでた。
 と言ってもただのネットサーフィンとは違う。
 加奈絵は、ソーサラーと呼ばれる特殊能力者だ。
 個々人でいろいろと能力に差はあるが、加奈絵の場合は大きく分けて二つの能力を持っていた。
 一つは、設備がなくともデータに接触できる能力。データやネットワークさえあれば、それが収められている物体に触れるだけでその中身を読み取ったり、プログラムを送り込んだりする事が出来る。
 もう一つはデータとプログラムの物質化と、物質とイメージのプログラム化能力。
 ただしこの能力は無機物のみ。けれど、自分に限ってのことならば有機物――自分の生身の体――をプログラム化してネットワーク世界に入りこむことも出来た。
 今日もそうやって、普通の人間ならばパソコンを通して間接的にしか接触できない世界――ネットワーク空間に入ってきていたのだ。
 面白そうな物を探してうろうろしてるうちに、なんだか強固なプロテクトに守られてる空間を見つけて、遊び半分でそのプロテクトを破った。

 ・・・・・・それから・・・・・・どうしたっけ。

 そこで記憶は止まっていた。
「飛ばされた・・・・。飛ばされたのよね、多分どっかに」
 自分が生まれ育った世界にはこんな場所は無いと思う。加奈絵とて世界のすべてを見て回ったわけではないから確実なことは言えないが、少なくとも加奈絵の知る限り、こんな景色の場所は無いはずだ。

 突然まったく知らない場所に飛ばされた。
 そんな現実の中でも、加奈絵はなぜか落ちついていた。
 帰ろうと思えば帰れる。
 加奈絵の中にはそんな根拠の無い確信があったのだ。
「さて、とりあえず・・・・・・・どうしようかしらねぇ」
 ぐるっと視線を巡らせて、街の影も無いことを確認して・・・・。
 とりあえず前に進むことにした。
 道があると言う事は人がいると言う事。道の先に街があるはずだ。
 方針を決めてしまうと加奈絵の行動は早かった。
 ぱっと立ちあがって、颯爽と歩いていく。
 その表情に、不安や戸惑いといったものは全くなかった。


 ――歩き始めて数時間。
 長時間を歩くという事に慣れていない加奈絵は何度も休み、文句を言いながら進んでいった。
 けれどいまだ街の影さえ見えないことに、加奈絵は苛立ち始めていた。
「あ〜〜もうっ! どこまで歩きゃ良いのよ、どこまで!!」
 加奈絵は、その日何度目になるかわからない叫びを再度繰り返した。
 周りに誰も居ないので心置きなく大声を出すことが出来る。――・・・・・・そんなの嬉しくもなんともないが。
「まさか街がないってことはないよねぇ、道があるのに無人ってわけはないし」
 加奈絵は肩を落としておおきく息をついた。
 そして、改めて辺りを見まわす。
 相変わらず良すぎるくらいに見晴らしの良い草原が広がっていた。
「あ〜〜あ、歩いてれば街に行けると思ったんだけどなぁ」
 とりあえず一旦休憩しようとは加奈絵はその場に座りこんだ。
 その直後だ、道の左側に広がる森の茂みががさっと動いたのは。
 最初は、風かと思った。けれどその後聞こえてきた声が、それは間違いであったことを示していた。
「危ないっ! 避けてくださいっ!」
 その声とほぼ同時に森の中から飛び出してきたのはモンスター。
 よくファンタジー系のRPGゲームで敵としてでてくるようなアレだ。
 加奈絵は慌てて立ちあがり、横に飛んだ。
 加奈絵の脇を掠めてモンスターが駆けぬけて行く。
 そしてその後を追うように森から出てきた一人の女性。
 年齢は加奈絵よりも少し上だろうか。
 赤茶の髪と碧の瞳。腰近くまで伸ばした髪を後ろで軽く束ねている。
 しかしそれよりも目が行ったのはその服装。
 仮装大会にでも出ようかといった感じの魔法使いファッション。見ようによってはドレスのようにも見える。
 女性はこちらにちらりと視線をやって、それからモンスターのほうに目を向けた。
「参りますっ!」
 女性はそう宣言し、言葉とは正反対の行動をとった。行くといいながら、彼女はそのままそこに留まっているのだ。
 戦いなんてヴァーチャルゲームでしか経験のない加奈絵でもこれくらいはわかる・・・・・・女性は、隙だらけだ。今襲われたら避けることさえ難しいのではないだろうか。
 そう思って様子をうかがっていると、モンスターは女性の方に向かって突進してきた。
「危ないっ!」
 思わず女性をかばいに出ようと一歩、踏み出す。
 自分がどうなるかなんて考えなかった。相手がヴァーチャルゲームのモンスターのような容貌だったせいか、この出来事がどこか現実感のないものに思えていたのだ。
 勿論、最初から、これが現実だなんて思ってはいなかった。
 多分どこかのゲームプログラムに紛れ込んだのだ。あの防御(プロテクト)は、開発中のゲームを外に漏らさないためとすれば辻褄だって合う。
 駆け出した足が女性に届くよりも前、女性が炎に包まれた。
 えっ!?
 突然のことに身動きできなくなった加奈絵の前で、女性は悠然とモンスターを見つめた。
「フレイ・ボムっ!」
 女性の周囲に漂っていた炎がモンスターに向かって集約していく。
 それはほんの一瞬のできごとだった。
 炎は一点に集中してモンスターに激突し、モンスターはあっというまに真っ黒焦げになってしまった。
 モンスターが動かなくなったのを確認すると、女性は長い髪をたなびかせてくるりとこちらに振り向いた。
 勝気な表情。強い意思を湛えた瞳。
「大丈夫でした?」
 その表情と瞳からは想像しがたい、たおやかな立ち居振舞いと穏やかな口調。
 今見た限りでの女性のすべてを総合して言えば、気品と威厳に満ちた本物のお嬢様。
 加奈絵は、女性のその雰囲気に呑まれ、ぽけっと女性を見ていた。
「アーシャっ!」
 一種の緊張に満ちたその場を破ったのは、女性が来た方向から聞こえてきた青年の声。
 女性は、くるっと軽快な身のこなしで声のほうへ振り向く。
 アーシャと呼ばれた女性は、場違いとも言える呑気な表情と口調でその声に答えた。
「はい」
「オマエなぁ・・・・・俺のこともちったぁ考えてくれよ。お前が一人で突っ走るたびに追いかけるこっちはどんなに大変か」
 青年は疲れた様に言って、女性の肩に手をかける。
 青年の言葉に、アーシャと呼ばれた女性は口を尖らせて反論した。どこか子供っぽい雰囲気で。
「でも、私が追いついていなかったら、この方はモンスターに殺されてたかもしれません。もともとモンスターを街道の方に追いやってしまったのは私たちですもの。自分で撒いた種は自分で片付けるものでしょう?」
 その返答に青年はさらに深く溜息をついて見せる。
「わかった。わかったから、せめて俺と一緒に行動してくれ・・・・・・・。一人で先に行くのだけは勘弁してくれよ」
 その言葉に女性が同意したのを確認してから、青年は初めてこちらに気付いた。
 そして、あからさまに面倒そうな、嫌なものでも見るような表情で言う。
「アーシャ。もうモンスターは片付いたんだろ。行くぞ」
「・・・え? 待ってください。まだ名前も聞いてないのに」
 女性はそう言って、立ち止まったまま進もうとはしなかった。
 青年はことさら大きく溜息をつくと、こちらを睨みつけてきた。
 完全な八つ当たりだ。当然こっちからも睨み返してやる。
 険悪な雰囲気の中でただ一人、この空気をまるでわかっていないかのように――多分実際本当にわかっていないんだと思う――女性はにこにこと笑顔で加奈絵にお辞儀をした。

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