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 終わりと始まりの日〜第2章 最終話 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うるさい」
 頭の上で鳴り響く目覚し時計の音に文句を言って、布団の中から手を伸ばした。
 なかなか目覚し時計に辿り着けず、音は少しずつ大きくなっていく。
「加奈絵! さっさと起きなさい!」
 母の声に加奈絵は勢いよく布団をはがした。
 時計は、いつもの場所――枕の上――ではなく、タンスの上に置いてあった。あれでは届かないはずだ。
 のろのろと着替えをして下に降りると、母は小さな紙袋を持って待ち構えていた。
 紙袋を差し出して言う。
「これ持って行きなさい。ちゃんとお礼言うのよ?」
「誰に?」
 きょとんっとした表情で問い返す加奈絵に、母は呆れたように溜息をついた。
「あんたねぇ、覚えてないの?」
 言われてみればなにかあったような気もするが、どうもあの黒い空の調査に行った後のことをよく思い出せない。
「覚えてない」
「昨日綺羅くんの家に遊びに行って、そこで倒れて・・・母さんが行くまで沙羅さんが面倒見てくださったのよ」
「綺羅じゃなくて?」
 何かあった時、たいていそれに対応してくれるのは綺羅だった。だから、なんとなく口をついて出たのだが・・・。
「綺羅くんも一緒に倒れたんですって。聞いたわよ、あの黒い空を見物に行ったんだって?
 無事だったからよかったものの・・・。好奇心もほどほどになさい」
「はーいっ」
 これ以上黙っていると説教はいつまでも終わりそうにない。加奈絵は気のない返事をしてさっさと家を出た。
「う〜、今日も遅刻かぁ」
 とはいえ、素直に遅刻する気もない加奈絵はいつもの如くデータCDを取り出した。
「飛んでいきゃ間に合うでしょ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
「あれ?」
 データCDはなんの反応も示さなかった。
 いつもならすぐにでも目的の物が目の前に現れるのに・・・・・。
 もう一度、挑戦してみた。・・・だが、何度試しても結果は同じだった。
 データが実体化出来ない・・・・・・・・・。
「ふえ〜んっ。遅刻だぁっーーーー!」
 それでいいのかと突っ込まれそうな泣き言を言って駆け足で学校に向かう。
 今は能力を使えないことよりも、遅刻のほうが重大事件だった。





 教室に入ろうとしたところで、綺羅に呼びとめられた。
「どうせ遅刻だろ。ちょっと付き合え」
「はい?」
 言うが早いか綺羅は加奈絵の手を引っ張って屋上に向かう。
 屋上に到着したところで綺羅はくるりっと勢いよく加奈絵のほうに振り返った。
「なに?」
 加奈絵が首を傾げると、綺羅は少しばかり言いにくそうに――綺羅にしては珍しい――問いかけてきた。
「あのさぁ、もしかして・・・加奈絵も能力消えてるのか?」
「加奈絵もって・・・・・・・・・・・綺羅もっ?」
 能力が消えるなんて前代未聞。
 かなり重大事件なハズ――遅刻と能力消滅を秤にかけて遅刻を重要視した加奈絵に言える台詞ではないが――。それなのに、綺羅はどこか呑気な様子で頷いた。
「オレは加奈絵より先に目ぇ覚まして、昨日のうちに能力検査行ってきたんだけどさぁ・・・マジ綺麗さっぱり。
 加奈絵も能力消えてたらアレのせいで能力消えた可能性が高いっつーてたけどな」
 アレと言って綺羅が指した先は上空。
 つまり、二人が興味本位で近づいたあの黒い空である。
「ああ、そうだ。本当に私、綺羅の家で倒れたわけ?」
 加奈絵の目は黒い空が出現していた場所に向けられている。
「・・・実は違う」
「繁華街ですか」
 二人はお互い顔を見合わせて小さな笑いを漏らした。
 正体不明のアレ・・・黒い空。怪物を落っことしておいてさっさと消えてしまった謎のブツである。
 だが、謎だからこそ何が起こるかわからない。
「あらら。・・・・・・・・・ま、いいけどね」
 加奈絵も綺羅に負けず劣らず、実に呑気な反応である。
 あれば便利だがなくてもたいして困るものではない――ちょっと残念だが。
 それが、二人に共通した能力に対する考え方だった。
 二人は顔を見合わせて苦笑し、揃って教室に戻る。



 確かに、よく覚えてはいない――だが、なにも覚えていないわけではない。
 前世と呼ばれる記憶はなにも残っていないが、自分自身の行動・・・そして、前世という過去の記憶のおかげで色々と混乱させられたことはしっかり覚えていた。
 多分、綺羅も覚えている。きっと綺羅の方がよく覚えているだろう。
 加奈絵と違い、綺羅は初めからきっぱり前世は別物だと割り切っていた。

 綺羅はきっと加奈絵の様子を確認するためにあんな風に聞いてきたのだ。
 綺羅の気遣いが嬉しかったから、綺羅には言わない。
 ――・・・・・・あの出来事は、忘れておくことにした。


 加奈絵はにっこり笑って足を速めた。
「おまえさ、そんなに授業が楽しいわけ?」
 綺羅が呆れ顔で言う。
「そうじゃないけどさー、なんとなく機嫌が良いのv」
「あっそ」
 小走りに廊下を行く加奈絵の後ろで、綺羅はゆっくりと歩を進める。
 丁度教室の前に立ったときだった。
「あ、そうだ。昨日優李が探してたぞ。なんか依頼料がどうとかって」
 その言葉に、加奈絵はぴたっと硬直した。
「あーーーーーーっ! 忘れてた、そう、依頼料! ・・・・・・・一週間宿題二倍か、私」
 自分の分と優李の分。二人分の宿題をやらなければならないことを思い出してがっくりと肩を落とす。
「頑張れよー」
 綺羅は楽しげに笑い、突っ立ったまま頭を抱える加奈絵を追い越して先に教室に入っていった。
 加奈絵は小さく息を吐いて頭を切り替えると、颯爽と歩き出した。








 いつもと同じ、普通の日常。


 それは極当たり前のようでいて、実はとてもとても貴重な存在。


 長かった非日常的な一日は終わった。



 そしてまた、穏やかな――時々は騒ぎも起きるけれど、それもまた楽しい――加奈絵の日常が始まる。

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