■■ 神様が滅える日 最終話 ■■
「たっだいま〜♪」
明るく浮かれた声。
時計を見ると裕が倒れてから一時間ほどが経っていたが、結城にはその何倍にも感じられた。
「絵瑠。・・・裕が!」
切羽詰った結城の様子に、絵瑠はさっと顔色を変えて部屋に飛び込んできた。
倒れている裕を見て、今にも泣きそうな顔をする。
「裕! ・・・なんで・・・ねえ、大丈夫?」
滅多にない弱々しい声音で言う絵瑠に、裕は閉じていた瞳を開けた。そして、小さく微笑む。
「大丈夫。・・・・ちょっと、動けないけど」
「全然大丈夫じゃない! ・・・ユーキちゃん、なにがあったの?」
結城は首を横に振った。
あったことをそのまま説明するが、裕が倒れた理由はわからなかった。
「僕、前から思ってたんだけどさ。裕さんってなんなの?」
あとから遅れて入ってきた羅魏が、憎らしいまでに落ちついた様子で問い掛ける。
「いまそんなこと言ってる場合じゃ――・・・・裕?」
怒鳴りかけた絵瑠を制止したのは裕だった。
「僕は、一度死んでるんだよ・・・・・・・」
優しい声で、囁くように言う。
「・・・絵瑠の力で、生き返ったんだ」
それを聞いて、羅魏は一人納得したふうに頷いた。
「羅魏」
絵瑠が、羅魏を睨みつける。
何かわかったならさっさと教えろ――無言で、そう言っている。
羅魏は小さく息を吐いてから、呆れたように絵瑠を見つめ返した。
「裕は、絵瑠の能力で今の生を保ってたってことでしょ? 絵瑠もさっさと気づきなよ。
裕は消えかかってる。絵瑠が女王の能力を使えなくなったからね」
いつもなら”絵瑠”じゃなくて”マリエル”だと訂正するところだが、今はそんな余裕はなかった。
「じゃあどうすればいいの・・・・? ボク、裕がいなくなるのは嫌だよ・・・」
座り込み泣きじゃくる絵瑠を見て、結城の視線は羅魏に向かった。
裕を救えるのは羅魏しかいないから・・・・・・・。
「羅魏ならできるだろ? 女王の能力を持ってるんだからさ。・・・裕を助けてくれよ」
縋るような視線に、羅魏はわざとらしく大きな溜息をついた。
一瞬、結城がムッとした表情を見せる。
「面倒だからヤ」
羅魏は完ッ全に結城を無視してその横を通りすぎ、裕の隣に立つ。
「・・・・・・・・裕さん」
絵瑠と裕。二人の視線が羅魏に向けられた。
三人の視線が、羅魏に集中する。
「裕さんは本当にそれでよかったの? このまま万里裕としての生を終え、新たな命として転生することもできる――いや、転生していたのを絵瑠が無理やり呼び戻したんでしょ?
それでも、永遠の時間を万里絵瑠と共に過ごす気があるの?」
裕は不思議なものでも見るような目で羅魏を見つめ、それからふっと笑った。
羅魏と結城は、こんな表情に見覚えがあった。
羅魏にとっては――ラシェルの祖父フォレス。結城にとっては、彼自身の両親。
「もう・・・絵瑠と離れて過ごすなんて、考えられないよ」
「そう。・・・なら、いいんだ」
羅魏の脳裏に浮かんだのは、ラシェル。
羅魏は、終わらない生よりも死を選ぶと言ったラシェルをほんの少し恨んだ。ラシェルの力になれない自分自身を恨んだ。
だが、裕は違った。絵瑠が居れば、永遠の時も過ごせると言うのだ。
「僕が持ってる”女王の能力”を全部あげる。その代わり、ちゃんとこの世界を・・・・この宇宙を守ってね」
絵瑠は勢いよく何度も頷いて、パッと表情を明るくした。
いつもの絵瑠からは想像のつかない可愛らしさで、笑う。
「うん、うん。大丈夫。約束は守るよ」
嬉しそうな絵瑠とは対照的に、結城は不満そうだった。
「大丈夫なのか〜?」
水を差すような声で言う。
結城にしては珍しく、無言の迫力でもって睨みつける絵瑠をしっかりと正面から見返し、それから羅魏のほうへと視線を向けた。
「本当にそんなことが出来るのかって言ってんの」
結城は疑わしげな表情で言ったが、相変わらずながら羅魏はまったく動じない。
「前例があるんだからなんとかなるんじゃない?」
あっさりとした口調で答えた。
結城としてはたんに羅魏の言葉で絵瑠があんなふうに笑ったことが気に入らなかっただけなのだろうが、相手とタイミングが悪かった。
さらりと流され、絵瑠には睨みつけられて・・・・結城は弱気になって後ろに下がる。
「このままじゃ僕が神様ってことになっちゃうし、そんなの嫌だし。僕としては譲れるものならさっさと譲りたいんだよね」
裕が倒れている横でよくもまあこんなに冷静に――というか、義理人情に欠けた口調で言えるものだ。
羅魏はしばらく考え込んだあと、
「実は自信ないんだけどさ、これ以外に方法が思いつかないんだ」
なんとも頼りない前置きをしてから絵瑠に向けて片手を差し出した。
「なに?」
「他人や物に魔力を与える魔法ってのをたまに使うんだけどね、それと同じような方法でなんとかなるかなって。この魔法は与える相手に接触してないといけないんだ」
羅魏に主導権を握られているのが微妙に気に入らない絵瑠は一瞬渋い表情を見せたが、最優先は裕の無事だ。差し出された手に、自身の手を重ねた。
羅魏の髪がまるで風に舞っているように見えるが、実際には風は吹いていない。魔力の動きが、そんな現象を起こさせているのだ。
端から見ている結城には二人の状況がよくわからない。
そのうち絵瑠の髪も、風にあおられたかのように舞い始める。羅魏が発した魔力が、絵瑠へと移動しているのだろう。
問題はこれで女王の能力を移動させることが出来るかどうか・・・である。たんに魔力の移動しかできていない可能性もあるのだ。
そうして、結城の感覚で十数分が過ぎた頃・・・・・・ふいに羅魏の身体がグラリと傾いた。
ちょうど結城の側に倒れてきたので、とりあえず支えてやる。どうやら羅魏は完全に意識を失っているようだった。
「上手く行ったの?」
「多分。これから試してみる」
結城の問いに、絵瑠は自信なさげに答えて裕の傍にしゃがみ込んだ。
だがどうやらそれは必要なかったらしい。
絵瑠と裕の視線が合ったころには、裕は完全に回復していた。
よく考えれば、絵瑠は今まで特別に意識せずに裕の生命を維持してきたのだ。絵瑠が能力を取り戻しさえすれば、裕がすぐに回復できるのも当然だ。
「なあ、こっちはどうするのさ」
結城は成り行きで抱えている羅魏を示して、まるで物を扱っているような口調で言った。
実際、確かに羅魏は正確には”人”ではなく”物”。だが、感情を持つ者にたいしてこの扱いはないだろう――などと思ったのは裕一人だったようで、絵瑠の答えも淡白なものだった。
「いつもならほっておくトコだけど一応今は恩があるしね。羅魏の家に放り込んどけば?」
「おっけー」
結城が明るく答えて、羅魏を抱えなおしたところでバタン、と扉が開く音がした。
「マリエル様〜♪」
部屋の騒ぎを何も知らないアルテナは呑気な声を響かせながらこちらに近づいてくる。
アルテナの手によって居間の扉が開かれたその直後、
「羅魏くんっ!? どうしたんですのっ?」
パタパタと慌てて駆け寄り、羅魏の様子を見てから、ぐるりと周囲の三人に視線をめぐらした。
「なんでもないよ」
いつのまに目を覚ましたのか、羅魏はいつもと同じゆったりとした口調でアルテナに笑いかけた。
スッと立ちあがり結城から一歩離れ、ちょうど目の前に居た絵瑠を睨みつけて低い声で言う。
「で・・・? 誰を、どこに放り込むって?」
「早かったね」
絵瑠は、羅魏が撒き散らす怒りのオーラをものともせずにっこりと笑う。
これ以上言っても無駄だと悟ったのか、羅魏は呆れたように息をついて答えた。
「魔力の使いすぎでプログラムの一部が停止してただけだもん。このくらいの光量があればすぐ回復するよ。
でさ、アルテナはどうしたの? なんか浮かれてたけど」
いきなり話を振られたアルテナは一瞬目を丸くするが、すぐににこやかな笑みを見せた。
「はい、亜夢の国の皆様、行き場がなくなってしまったでしょう? それで、ミレル村・・というかまあ正確にはミレル村があったところで暮らさないかって話になったんですの♪」
「えぇ〜?」
羅魏は思いっきり不満げな声をあげた。
羅魏の家はミレル村の外れにある。現在は過疎が進み廃村となっているが、もともと人付き合いを面倒だと考える羅魏はそのほうが気楽で良いと思っていた。だが、人が――しかも、アルテナの友人が住むとなればきっと家を訪ねてくる者も増えるだろう。
「マリエル様も一緒に参りましょう☆」
だが、すでに浮かれまくっているアルテナに羅魏の抗議の声は届かなかった。
「は? ボクも?」
「はい☆ だって、マリエル様のことですからきっと住む場所なんて決めていないんでしょう? だったら、みんな一緒がいいですの♪」
こういう時のアルテナに何を言っても無駄だ。
どんな皮肉も抗議も、ぜーんぶ彼女の浮かれた頭を素通りしてしまう。
結局、半ば押しきられるカタチで、彼らはサリフィスに向かうこととなったのであった。
他の箱庭がどうなったのかはもう知ることはできない。
亜夢の国が崩れたことで、他の箱庭へ行く手段も失われたからだ。
だが、あえて誰もそれを口にはしなかった。
他にも残っている箱庭があると信じたいと思う気持ち半分、自分たちのことで手一杯だという状況が半分。
なんとか残ったこの箱庭も、影響がなかったわけではないのだ。女王の消滅は、この宇宙の星々にたくさんの影響を及ぼし、なかには滅びてしまった星もあった。
それでも、彼らはたくましく生きていく。
女神たちは”女神”、”管理者”としての能力と不老の力を失い、一つの種として箱庭の中の一つの星――サリフィスに住まう事になった。
亜夢の国は消滅し、アルテナの箱庭は、この幻想世界のただ一つの宇宙となった。
たった一人、絵瑠だけが、ほんの少し残された”女王”の能力を受け継いだ。
この箱庭を見守る神として・・・。