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第2章〜失われたモノ 第6話


 ヴァユの不用意な一言により事態はさらに混乱を極め、結局状況が落ちつくまでに一時間近くもかかった。
 これまでの経緯と、首都に行きたい旨を伝えると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「ヴァユくんが乗ってくれるなら別にいいわよ」
 その言葉にアリシアがギロリと彼女を睨みつける。
「アリシアさん・・・・。船長さんはヴァユさんのお姉さんなんでしょう? そんな睨まなくてもいいじゃないですか」
「え?」
 苦笑したリセルであったが、ヴァユと船長の二人にぱっと疑問の声で返されて、不思議そうに首を傾げた。
「あら。違いました?」
「姐(ねえ)さんって呼んでるけど別に家族ってわけじゃないし」
「うちの船員があたしのこと”姐(あね)さん”って呼ぶからねー」
「いつのまにかその呼び方が普通になってたんだよなー」
 二人交互に言って笑いながら顔を見合わせた。
 息の合ったその様子に、アリシアはますます彼女を睨みつける。
 だが彼女はそんなアリシアの様子などまったく気にも止めずに、ヴァユの方へと視線を向けた。
「じゃ、出航は明朝」
 言って、ヴァユたちに背を向ける。船員達に同じ言葉を通達し、準備のために船員達の方へと歩き出した。その途中でくるっと振り返る。
「名前、言ってなかったよね。あたしはリース。船ン中好きに見ていいから。んじゃまたねー♪」
 言うが早いか、こちらの話など聞く様子も見せずにさっさと行ってしまった。
「首都に行けそうで良かったですねえ」
 リセルは、険悪なアリシアの空気を無視して一人穏やかにのほほんっと笑った。
「そぉだねー」
 あまりにも不機嫌な空気を纏って言うアリシアに、ヴァユは思わず後ろにあとずさる。
 性別が変わったからといって性格に違いが出るわけではないだろうが、やはり視覚効果は大きい。
 この不機嫌オーラを発しているのが男であれば、ここまで脅威には感じないだろう。
 だが、もともと女の子と縁の薄いヴァユはどうしても反応に困ってしまう。
「あ、あのさっ。さっき姐(ねえ)さんが珍しいって言ってたけど・・・そんな珍しい名前なんだ?」
 仕方ないので、とにかく違う話題に持っていくことを努力した。
 声はうわずってるわ、話の持っていき方も不自然だわで動揺しているのがバレバレだが、幸いにも二人はそこにツッコミをいれてくるほど意地悪ではなかった。
 しかし、リセルは別の方面からツッコミ――というか、呆れたように声をあげた。
「ちょっと待ってくださいっ!?」
 一度はものすごい勢いで迫ってきたものの、リセルはとりあえず深呼吸して、落ちついてから再度口を開いた。
 少しばかり不機嫌に、横目でアリシアを睨んで、
「・・・・・自分の身分に関わりそうな事すべて綺麗さっぱり忘れてしまっているアリシアさんは置いておくにしても――」
 そこまで言ってから、ビッと、勢いを持って人差し指をヴァユに向けた。
「ヴァユさん、アルカディアの生まれでしょう? いえ、他の国でもそうなんですけど・・・・・・・」
「何が?」
 首を傾げて問い返したヴァユに、リセルは大きく溜息をついて見せた。
「王家の中でも、現王と成人した第一王位継承者の二人は――場合によっては一人になりますけど――公的な名前と私的な名前を持つんです。
 アルカディア王家は”アリシア”、ファレイシア王家は”アカシャ”、ユケイディス王家は”エミル”、レシェリアラ王家は”カリナス”。
 ですから、その国の民に限らず、一般国民は王家の”公的な名前”を使わないようにするのが普通なんです」
「それで、アリシアの名前は”珍しい”わけか」
「そういうことです」
 満足げに頷きながら、それでもリセルは最後に辛辣に一言付け加えた。
「一般常識ですよ? これ」
「そんなこと言ったって・・・・・・・・・」
 いくら言われたって知らないものは知らないのだ。
 まるで責めるような言い方をされて、思わず弱気な声になってしまう。
「まあまあ。そういうこともあるんじゃない?」
 にっこり笑って口を挟んできたアリシアのあまりにも他人事な口調に、リセルは諦めたように肩を落とした。
 アリシアは自分が王族の人間だという記憶がないし、リセルのその推測も認めたくないようだから、いくら言われても他人事にしかならないのだろう。
 とりあえずなんとか話題を変えることに成功したヴァユは、二人に――正確にはアリシアに――せがまれて船の中を見物する事にした。
 とはいえ、ヴァユは何度かこの船に乗った事があるし、どちらかといえば見物というより案内だ。
 船から海を眺めるのは楽しい。だが、船の中を見物して何が楽しいのかと最初は思ったのだが、ヴァユにとっては見慣れたものでも二人には珍しいものが多かったらしい。
 二人の反応が新鮮なおかげか、説明するヴァユも楽しかった。
 そうして一時間程を見物で過ごし、そろそろ見るところもなくなろうかという頃。
「ヴァユ!」
「・・・ん?」
 船員の一人に声をかけられて、
「姐(あね)さんがちょっと来て欲しいって言ってたぜ。船長室で待ってるってサ」
「おっけー」
 ヴァユは年に見合わない大人びた笑顔で返した。
「ってわけなんだけど・・・・・・――」
 アリシアとリセルに視線を戻した瞬間、アリシアの仏頂面にヴァユの動きが一瞬止まる。
「・・・・・・あのさー・・・・・・・・」
「なに」
「そういう顔されるとすっごく行きづらいんだけど・・・・・・・」
 そうして、困った顔をして見せるとアリシアはバツ悪そうに視線を外した。
「なんだか急にわかりやすくなりましたねー♪」
 この事態に直に関わりのないリセルは呑気に言い放ち、途端アリシアに睨まれた。
 だが、もともと動じない性格らしいリセルはただただニコニコと穏やかに笑みを返すのみ。
 凄んでも意味がないと判断したのか、アリシアは疲れたように溜息を吐いた。
「わかりやすいのはあっちでしょ。ヴァユくんがいるなら船を出すなんて」
 アリシアの言葉に、リセルはくすくすと楽しげな声を漏らした。
 だがヴァユにとってその言葉はあまりにも意外なもので、寝耳に水といっても過言ではないくらいだった。
 今までだって似たような事は何度もあった。例えば、難しい航海をするから一時的でもヴァユに来て欲しいと言った父の同業者。ヴァユがいるならば仕事をまわすと言ってきた人もいた。
 だからリースの言葉も、ヴァユにとってはごく普通の提案だったのだ。
「そりゃオレの仕事が風読みだからだよ」
「え?」
 アリシアとリセル、二人の声が重なった。
「あれ? 言ってなかったっけ」
「ええ、聞いてません」
 聞き返したヴァユの言葉に二人は顔を見合わせた。
 そうして、ほんのちょっと考えてからアリシアが切り出した。
「風読みってどんな仕事なの?」
「・・・・・・・・・知らない?」
「知らない」
 ヴァユはぽかん、と口を開けて二人の返答を聞いた。
 だって、ヴァユの中の常識では、”風読み”は誰でも知っている重要な仕事なのだ。
「風読みってのは風や潮の流れを読んで、その都度航路に微妙な調整を加える仕事。風読みが船にいるかいないかで、船のスピードが格段に変わってくるんだ」
 勘と経験に著しく左右されるため、小さい頃から海に慣れ親しんでいないと出来ない仕事だ。故に重要度の割りに、実際に仕事が出来るレベルの風読みは結構少なかったりする。
 その点ヴァユは産まれた時から船暮らしで、しかも風の魔法を扱える。風読みとしての腕は一流と呼んで差し支えないレベルだった。
 ヴァユの説明に、二人は感心した様子で頷いた。
「ああ、それで。海に出ている時間が短ければ魔物に遭う確率も下がりますもんね」
「そうそう♪」
 明るく答えるヴァユの真正面で、アリシアが安心したふうな様子を見せた。
 小さく息を吐いて、それからにっこりと笑顔を向けてきた。
「そっかー。そうだったんだ」
 その笑みに、とりあえずヴァユも笑顔で返し・・・・・・・――
 その時だった。
 リセルが、至極当然な――だが、今までまったく気付くことのなかった疑問点を指摘してきたのは。
「でもそれならよく旅に出るのを許してくれましたよね。だって、ヴァユさんはそれだけ重要な仕事をしていたんでしょう? しかもまだ未成年ですし」
「・・・・・・・・・・え・・・・・?」
 何故だか、うまく言葉が出なかった。
 ヴァユは、十二歳。成人まであと二年もある――ただし、十四歳で成人というのは儀式的なものであり、実生活の中で大人として認められるのはもう少し先だ。
 それだけでも、普通は一人旅なんてなかなか許してくれるものではない。
「あれ・・・・・・・・・・・?」
「ヴァユくん?」
 突然黙り込んだヴァユを見て、アリシアが心配そうに覗きこんで来た。
「・・・・・・・・あれ?」
 同じ言葉ばかりが口を突いて出てきた。
 ――・・・・・・思い 、出せなかった。
 旅がしたいというヴァユの主張に対し、思いっきり反対されていた事はよく覚えている。
 それで、ある日家出を決行したのだ。
 港に停泊した時に船を抜けだして・・・・・・・・・・・・・・・・。
 ここで、記憶が途切れていた。
 いつ、どうやって、どうして、旅に出ることを許可してもらったのかまったく思い出せない。
 父から貰ったと記憶している路銀も、改めて思い返すと、いつどこでどうやって貰ったのかまったく覚えていなかった。
「ヴァユさん?」
 今度は、リセルの声。
 ハッと我に返ったヴァユはことさらに明るく言った。
「なんでもない。・・・・・・姐(ねえ)さんの機嫌損ねないうちに行ってくるよ」
 問われた言葉に回答を出さないまま、何か言いたげな二人を残して、ヴァユは船長室へと向かった。




 ――航海は、順調に進んだ。
 久しぶりの海はとても気持ちが良かった。
 マストの上で感じる風も心地よくて、久しぶりに還ってきたような気がした。
 自分の瞳と良く似た蒼の色を映し出す広い空に、スッと心が軽くなる。
 だが、どうしても晴れない不安が、まるで重石のように感じられた・・・・・・・・・。
 規模は違えど、状況はアリシアとよく似ている。
 旅暮らしを満喫しているアリシア。だけど、その旅に出る以前のことをほとんど覚えていないアリシア。
 旅を楽しんでいるヴァユ。旅に出ることは反対されていたはずなのに、いつ許しを貰ったのか覚えていない・・・・・・・・。




 そうして、出航から十数日後。

 疑問は疑問のまま。


 ――何一つ回答を得られないまま。


 ・・・・・・・・・・・・・三人は、アルカディア王国首都のある大地。アルカディア大陸の本土に到着した。


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