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第2章〜失われたモノ 最終話


 結局その後、夕暮れ過ぎまでずっとマストの上にいた。
 ヴァユが吹き飛ばしてしまった荷は両親と船員たちによって片付けられたが、どうにも戻りにくかったのだ。
 何をするでもなく、赤く染まった空を眺めていると、ほぼオレンジに近い赤茶の髪が空の色に同化していくような――自分が、空に溶けこんでいくような気分になった。
 どれくらいのあいだ、そうしていただろう。

 カーーン――・・・と、
 ふいに聞こえてきた鐘の音にヴァユの意識が海から街へと移っていく。
「探す・・・だろうな、きっと」
 ヴァユがいなくなれば。
 基本的に息子に甘い父。
 ちょっと厳しいが、実は誰より心配性な母。
 母の言うことは実は正しい。
 街に出たら、きっと戻ってくる気にならないと思う。
 今なら、誰も見ていない――実際は誰に見られたって、誰もヴァユには追いつけないが――。
「よしっ」
 勢いよく立ちあがり、睨みつけるように街を見つめた。
 風に包まれ、ふわりと、ヴァユの身体が空に浮かび上がる。
 行きかけて一度船を振りかえった。
「置手紙くらいした方がいいかなあ」
 誘拐されたんじゃないかとか、そんな妙な心配をされても困るし、さすがにそれは悪い気がする。
 少なくともヴァユの意思を残しておけば、ヴァユが自分の考えで行方をくらましたことはすぐにわかるだろう。
「うん、そうしよう」
 と言っても、本当に手紙を書くつもりはなく、替わりに魔法による伝達方法をとった。
 明日の朝あたりにそのメッセージが届くように――ヴァユの声を風に乗せて。



 最後に街に出たのはいつだったろう。最初で最後――と言ったほうが正しいか。
 保護者同伴で初めて街に出た日。街に入るや否や迷子になり、その後街への外出禁止令が出たのだから。
「どうしよっかなー」
 突発性の家出だけあって、金も食料もなーんにも用意していなかったりする。
 まず金を稼がないと何もできないのだからそれ以外の選択肢はないのだが、ヴァユはそんなことはまったく思いつきもせず・・・・・・自分の好奇心を満たすのが最優先だった。
 特になにか目的を持つわけでもなく、面白そうなものにちょこちょこ顔を出しつつ、適当に街中を散策する。


 その時。

 ヴァユは、突然、何かを感じ取った。
 ”何か”の正体はまだわからない。
 だが、その”何か”はヴァユを不安にさせるには充分なものだった。
 ヴァユは”何か”が向かってくるその方向に目を凝らした。
 たしか、あの方角は四大陸の中心の島――四王国の共同領地がある方角。
 王様たちが話し合いをする時に使う場所で、四王国全ての許可を得なければ上陸できない決まりになっている。
 あそこにある主な施設は二つ。
「会議場・・・・・・なわけないよな」
 会議場がこんなおかしな気配を発する理由が思いつかない。
「・・・気象調整装置・・・・?」

 昔、この世界――シリスは、現在よりもずっと豊かな土地だったらしい。
 だが、今から十年ほど前。世界全体を襲った天変地異により事態は一変した。
 天変地異の影響で気象が変わり、作物は一斉に枯れ、大量の死者が出た。
 その事態を打開するため、四王国はそれぞれの技術を持ち寄って、気象調整装置を造り上げた。
 そうして、世界はまた以前に近い豊かさを取り戻したのだ。
 とはいえヴァユは天変地異の当時二歳。気象調整装置が出来た時で四歳。
 物心ついた頃にはもう世界はある程度の平穏と豊かさを取り戻した後だった。

 ともかく、気象調整装置がとても高度な魔法装置であることはヴァユもよく知っている。
 ヴァユは魔法を習ったことはなかったが、生まれつきの才能と勘で魔法を操ることが出来た。
 だからこそヴァユは、言葉ではなく、知識でもなく・・・・・本能で知っていた。
 魔法とは、本来あるべき自然現象を一時的に歪める事で発生させるものである事を。
 魔法装置が作動し続けること、イコール、常に自然現象を歪め続けること。
 どうして、学問として魔法をよく知っているはずの王様たちがそんな簡単なことに気付かなかったのだろう?
 恒常的に歪みが発生しつづければ、そのうち破綻することは目に見えているだろうに。



 どうしよう。


 ・・・・・・・・どうすればいい?

 もうすぐ、あれがここに到達する。
 そうなった時、自分の身に何が起こるのかはまったく想像もつかなかった。

 考えをまとめる間もなく、それが視えた。
 気象調整装置を中心に、歪みが世界全土に広がっていく様子が、ヴァユの視界に映し出された。
 だが、それが世界全体に広がっている以上、誰にも・・・どこにも逃げ場はない。
 ヴァユは、動くことも出来ずその場に硬直していた。
 恐怖に身体を強張らせて、迫ってくる歪みを待っていた。


 ・・・・・歪みに触れ、目の前で、バタバタと人が倒れていく。

 そうして、自分の番が来た。
 それに触れた瞬間、激しい痛みに襲われた。
 だがそれは身体的な痛みではなく、精神的な痛み。
 本来在るべきトコロから無理やり引き剥がされる痛み。
 そこで、ヴァユの意識は途切れた。



 ――次に目を覚ましたのは、宿屋だった。
 朝・・・・・・。馴染みのおばちゃんが経営している宿屋。


 ここから、始まっていたのだ。不自然な現実――夢、が。
 あの時・・・・多分、自分だけではなく、他の倒れた人も皆同じ体験をしたのだろう。
 無理やり身体から引き剥がされた精神。
 普通ならばそれは行き場を見失ってさ迷うか、もし自分の状況を理解できれば身体に戻ろうとするだろう。
 だが、自覚する間もなく起こった剥離。
 あまりにも大勢の人間が一斉に精神だけの状態に陥ったことによって、そこにもう一つの世界が出来あがってしまった。
 ある種の自己防衛本能とも言えるだろう。
 人々は、自身の精神の安定を守るために、無意識的に、精神だけの状態でも現実と同じように生活出来る空間を創り上げたのだ。
 その世界で人々は、自身が精神だけの存在だと気付かずに、生活している。
 だがやはり精神世界というヤツは、現実と希望が入り混じってしまっているらしい。
 そのせいで、矛盾が生じたのだ。
 大多数の人はその矛盾にすら気付かずにいるが・・・・・・・・・・・・。

 感覚が過去から現在(いま)へと戻ってきたその瞬間、ヴァユの周囲にも歪みが発生した。
 だがその原因をすでに理解しているヴァユは、慌てたりしなかった。
「アリシアも、思い出したんだ」
 ヴァユの言葉に、アリシアは小さく頷いた。
「別に王家の人間でいることが嫌だったわけじゃない。ただ、一度でいい――自由な旅をしてみたかっただけなんだ」
 そう言ったアリシアは、どこか淋しそうに見えた。
「あ、そうだ。ヴァユくんは今どこにいるの? あとで探しに行くから教えて」
「ファレイシア大陸のルーシアっていう港町」
 ヴァユが答えるか答えないかのうちに、アリシアの姿が消えた。
 だが、不安はなかった。
 今なら――全てを自覚し、身体に戻ろうとする意思がある今なら、きっと在るべき場所に戻れる。
「お姉ちゃんは・・・?」
 アリシアを見送って、リセルの方に視線を向けると、リセルの周囲には空間の歪みは発生していなかった。
 つまりそれは、リセルはまだ自覚していないということ。だが、そうするとさっきの言動はおかしい。
 ――いつか夢は醒めるもの――
 これが夢だと自覚してなければ出てくるはずのない言葉だ。
 リセルが、にっこりと笑った。
「私は、あのフェアリーと同類です」
「え?」
「気付いているのに、帰らない――帰れない。あのフェアリーがどうして帰れないかは私も知りませんが、気付いているのに夢から醒めることが出来ないという一点においては同じなんです。
 でも、気付いているからこそ、他の方々の自覚を促すことが出来るんです。今みたいに」
「どうして帰れないの・・・・・・?」
 聞いてはいけないような気がした。
 だが持ち前の好奇心が、その問いを口にさせた。
「私は、死人ですから・・・・・・とっくの昔に死んでるんです。帰る場所がない。だから、この世界が消える瞬間まで、私はこの地にいます」
 きっと、リセルは誰かの願いでここに甦ったのだろう。
 現実と希望が入り混じる夢の世界だからこそ、こうやってここに存在できたのだ。
 言葉もなくリセルを見つめていると、リセルがクスリと笑った。
「そんな顔しないでください。実を言いますとね、私も、あのフェアリーに会うまで自分が死人だなんてすっかり忘れてたんです。私はフェアリーと――同類の存在と出会うことによって自覚しました。
 ヴァユさん・・・・・意地悪な言い方ばかりしてごめんなさい。不安だったでしょう?
 でも言葉で事実を伝えても、否定されてしまうと思ったんです」
 そういえば、いつも気付くのはリセルだった。
 アリシアの矛盾点。ヴァユの矛盾点。どちらも、リセルが言い出さなければ気付かなかっただろう。
「うん、そうだね。いきなり言われたらきっと信じない――否定しちゃうよ。ここは、居心地が良いから」
 ヴァユは小さく苦笑して見せた。
 リセルと言うきっかけがあったものの、自分で矛盾に気付いてしまったから、不安だったのだ。そして、不安があったからこそ、事実に辿り着けた。

 ふいに、視界が霞んだ。
「もう、お別れですね」
 霞んだ視界にの向こうで、リセルが小さく笑った。
「私はこれからもなるたけ多くの人をそちらに送り返します。それが、ここでの私の役目だと思うんです」
「ねえ、お姉ちゃん。良かったらフルネーム・・・・・――」
 言いかけた言葉は途中で途切れてしまった。
 けれど意識が途切れる直前、小さな声が、意識の奥に滑り込んできた。
 ――リセル=マイラ――
 最後に聞いたリセルの声は、少しだけ嬉しそうな色を含んでいた。


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