「おっはよーうっ!!」
オフィス街の一角に位置するビルに駆け込んで来た女性は、オフィスに入るなり元気な声を出した。
「通算九百九十八回目」
「お・そ・よ・う。だろ?」
だがしかし、すでにオフィスで仕事を始めていた二人は、誤魔化されてはくれなかった。
「あと二回で減棒なー」
「うっそ、ヒドイっ」
「遅刻する方が悪いっ!」
社員全員二十代、社員数は十数名。設立からわずか五年と言う会社であるが、その業績はすでにトップレベルにまでのぼりつめていた。
社長の名前は、皇綺羅(すめらぎ きら)。この星――纏栄(てんえい)で標準的な色である黒い髪をしているが、趣味で前髪の一部分だけ緑色に染めている。どちらかといえば華奢な体格と言えるのだろうが、背は高い。現在二十七才。この会社の言い出しっぺである。
副社長は、なんと今遅刻してきた女性だ。名前を橘加奈絵(たちばな かなえ)と言う。ここの社員の中では最年少の二十三才。彼女の力が無ければこの会社は出来なかっただろうが、それにしても五年間でこの回数は・・・・・ほぼ毎日遅刻している計算になる。
実は会社設立が決まった時、主要人物三人でじゃんけんをして社長を決めたと言う逸話があるのだが・・・・・加奈絵が勝たなくて本当に幸運だったと言えるだろう。
さて、主要人物三人目にして、現在オフィスに居るもう一人は、鮮やかな紫に染めた髪が自慢だと言う連優李(れん ゆうり)。加奈絵よりも一つ年上だが、加奈絵が二つ飛び級をしていたため、学年は一つ下だった――もちろん、卒業も優李のほうが遅かった。
視界に入ってさえいれば、どんな機械でも――優李自身が扱い方を知っていなければならないが――遠隔操作できてしまうという特殊能力の持ち主である。
「おまえさあ、遅刻してる場合じゃないだろ? 連絡取れたのかよ」
綺羅が呆れたように言って、オフィスに備え付けのモニタに目をやった。
最新の通信システムで、魔法と機械両方の技術を取り入れた、ここにしかないものだ。
この会社がここまでの急成長を遂げた理由が、これだった。
実はここの社長と副社長は昔、事故に巻き込まれて異星に行った事があるのだ。
その経験を活かして始めた商売が、異星との商取引。
この星の文化は機械技術のみで発展してきたため、魔法と言うものが存在しない。
優李のような特殊能力を持つ人間は珍しくなく、――彼らのような能力者はソーサラーと呼ばれている――能力者に対する制度もきちんと存在しているが、能力そのものの研究というのはほとんど行われていない。
彼らの能力を利用することはあっても、それを解析し誰にでも使える技術とする術は今のところ存在していないのだ。
だからこそ、異星の魔法道具や知識はとても高く評価された。
しかも、今のところ異星に行く方法を持っているのはこの会社だけであり・・・・・・現在世間一般に出まわっている魔法に関する品は全てこの会社が出したものだ。
とはいえ、現在取引を行っている異星は二つだけ。
ここで使われている転送装置は、送り先に出口となる装置がある必要はないが、その代わりに送り先の正確な座標が必要だった。故に、ある程度の情報収集が完了した場所にしか行けない。
通信装置は、魔法的システムの物でも機械的システムの物でもどちらとも通信可能で、無差別に送信すれば新しい星と連絡が取れるかもしれないシロモノだが、今のところそれは成功していない。
つまり、以前から存在を確認していた二つの星としか連絡が取れなかったのだ。
一つは、サリフィスと呼ばれている星。だがこの星は十年程前に起こった天変地異の影響で、とても商品取引が出来る状態ではなく、通信を使った知識のやりとりのみとなっている。
こちらの知識と技術を伝える替わりに、向こうの知識と技術を教えてもらうと言った具合だ。
もう一つは、シリスと呼ばれる星。ここには四つの国があり、そのうちの一つ――ファレイシアという国と取引をしている。
こちらは向こうの積極的な姿勢も手伝って、商品取引だけでなく、直接会うこともあった。
で、今何故か連絡が取れなくなっているのは、ファレイシアの方だ。
「まだー。とりあえずまた通信やってみるわ」
軽く言いながらモニタの前に陣取った加奈絵は、慣れた様子で機械を操作する。
二日前の夕方から、いくら通信を試みても応答が無いという状態が続いているのだ。
向こうの通信機が故障しているといった具合ではなく、電話が鳴っているのに出てくれないという状況だ。
そして、今日もやはり結果は同じだった。
その日連絡をとることは以前から約束していたことだ。そして、彼女――ファレイシアの皇女が、約束を破るような人間ではないことはよく知っている。
何かあったのだ。
向こうで。
もしかしたらたんに病気で出られないだけかもしれない。
だがそれならばとりあえずその旨を伝えるくらいはするだろうし、実際今まではいつもそうだった。
「あーもう、ラチあかない。直に行ってくるわ」
たった二日。だが、加奈絵を不安にさせるには充分だった。
ファレイシアの皇女は、取引の相手であると同時に、加奈絵にとっては大切な友人でもあるのだ。
「ちょっと待てって。どうなってるかわかんないんだろ?」
慌てた様子で優李が引き止めに入った。
「だから行くんでしょ!」
意見を曲げない加奈絵を見、優李は困ったような表情で綺羅を見やった。
だが綺羅は、
「行くならちゃんと発信機つけてけよー。座標わかんないとこっちに戻してやれねーからなー」
「了解っ♪」
あっさりとそれを認めてしまった。
「ちょ・・・ちょっと、綺羅さ〜んっ。本当に大丈夫なんですか?」
ガタンっとその場に立ちあがり、浮かれる加奈絵を指差し抗議をしたが、綺羅はどこ吹く風で平然と答えた。
「さあ。ま、大丈夫じゃねーの?」
「だって、かなはソーサラーじゃないんですよ? 身を守る方法だって・・・・――」
「あ、それならダイジョブ。アーシャに魔法習ったから〜♪」
「かな、オマエいつのまに・・・・・」
「会社始める前にー」
もともと、最初の通信機は加奈絵が趣味で作った物だった。ただそれも加奈絵の魔法知識と機械知識があってこそ出来たもの。そして、その通信機がなければこの会社は出来なかったのだ。
「心配してくれてありがとね、優ちゃん」
にっこりと笑顔を見せて言うと、加奈絵は早速転送装置の準備にかかった。
ちょうどその時だった。
ずっと呼び出しを続けていた通信機が、突如通話状態になった。
「アーシャっ!?」
加奈絵は慌てて通信機の前に戻る。
残る二人も駆け足で通信機の前にやってきた。
だが・・・・・・モニタの向こうにいたのはアーシャではなかった。
「ルーナちゃん!」
赤い髪と碧の瞳。両方ともアーシャと同じ色。
映し出されている姿は、今年七歳になったばかりのアーシャの娘、ルーナ=ファレイシアのものだった。
「お母さんは?」
「寝てるです」
「寝てる?」
「全然起きてくれないです。他の人もみーんな、どんなに起こしても目を覚まさしてくれないです」
それはかなりの異常事態だと思うのだが、意外にもルーナは冷静だった。
「なにがあったの?」
そう問いかけると、ルーナはしばらく宙を見つめてから首を横に振った。
「わからないです。エリス姉さまは何か知ってたみたいです。でも、話の途中でこっちの呼び出しに気付いて、ルーナ、一回通信切っちゃったんです」
「エリス・・・・〜〜・・・って、確か隣の・・・アルカディア王国の皇女さまよね?」
「ん〜〜〜〜〜〜〜っと・・・・・・・・・多分、はいです」
「多分?」
何故か答えを迷ったルーナの態度に綺羅と優李は首を傾げた。
だが、アーシャを通じて何度かエリスと会ったことがある加奈絵はその理由を知っていた。
「わかった、これからすぐ行く。だからちょっと待ってて」
口篭もったルーナの答えをさらっと流し、子供向けの笑顔で言う。
「カナエ姉さま、ルーナのとこに来てくれるですか?」
不自然なくらいに変わらなかったルーナの表情が、一転してパッと明るく輝いた。
いくら冷静でいることができても、やはり一人きりでは不安だったらしい。
「うん、すぐ行くから待ってて。それじゃ、一旦通信切るね」
言うが早いかパチンと通信を落として再度転送装置に向かった。
優李と綺羅の表情も真剣なものへと変わっていた。
「基本操作は優李に任せた。オレは座標の確定をするから」
「わかりました」
優李は即答して、即座に機械の操作を始めた。
さすがにもう反対はしないらしい。
それから準備が整うのはすぐだった。
「かな、絶対無茶はするなよ? いつも考えなしなんだから」
「うるっさいわねー。わかってるわよ。優ちゃんってば心配しすぎ」
毎度毎度口うるさい優李に肩を竦め、呆れた口調で返す。
「あとでまた連絡入れるから、きちんと状況報告しろよ」
「わかってますって」
優李よりも年上だが、優李と違って綺羅はいつでも加奈絵を年下として扱わない。
故に、綺羅に対しては加奈絵も素直だった。
そんな様子を見て、優李がなにか不機嫌そうに口を尖らせたが、今はそれをからかっている暇はなかった。
簡単に今後のことを確認して転送の準備が終わるまでの所要時間は、ルーナとの通信を切ってからたった一分。
加奈絵は二人に見送られて、ファレイシアの王宮へと飛んだ。
出てくる場所はいつも決まっている。
アーシャは、加奈絵がいつやってきても良いような部屋を作ってくれていた。
転送先に物が置いてあったりすると事故が起こってしまうため、その部屋はいつも同じ状態――なんにもないだけだが――にしておいてくれたのだ。
そうして、今回も出てきたのはその部屋だった。
一瞬視界が歪んで、もとに戻ったときにはもう移動済み。
加奈絵はぐるりと周囲をみまわした。
「通信室ってどっちだっけ」
いつもパソコンを持ち歩いていて、――加奈絵の星では、腕時計サイズのパソコンが主流だった――その通信システムを使う事が多いため、こっちの通信機など使ったことがないのだ。
ちなみに、加奈絵や綺羅の持つミニパソコンの通信システムは、相手の番号さえわかっていれば、どんなに離れていても通信には問題ない。逆に言えば番号がわかっている相手としか話せないということだが。
とりあえず部屋を出た加奈絵は、目に飛び込んできた光景に愕然とした。
・・・・・・・・その辺に無造作に倒れている人々。
まるで生気が感じられなくて、いくつもの人形が置かれているようにも見えた。
それでも、城は広さのわりに人が少ないから、ここはまだマシな光景なんだろう。
(・・・・・・・・・街中はいったいどうなっているんだろう)
そう考えると、加奈絵の背筋にぞくりとした冷気が走った。
「アーシャ・・・・・」
彼女は、加奈絵にとって一番の友人だった。
ルーナの話しからすると、アーシャも眠りについてしまっているらしい。
実は通信室の場所なんてわかっていないのだが、加奈絵は、適当にアタリをつけて走りだした。
――走ること数分。
「カナエ姉さま、こっちです」
加奈絵は、部屋の前に待機してくれていたルーナと合流した。
駆け寄るなり、ルーナの前にしゃがみこんで目線を合わせる。
「ルーナ。助かったわ〜」
加奈絵は明るい声で言って苦笑した。
部屋の前にいてくれなければ、気付かずに通りすぎるところだったのだ。
「姉さま、こっち来たことなかったです?」
ルーナはコクン、と首を傾げて不思議そうな顔をした。
「ないのよねー、これが。いつもアーシャの部屋に直行だったもの」
会社の用事で来た時はたまに会議室などで話すこともあったが、そういう話は通信で話すことが多かった。結局ファレイシアに来るというのは、遊びに来ることとほぼ同義語なのだ。
通信室は案外狭くて、内装もすっきりとしたものだった。
部屋にあるのは、窓と窓にかかるカーテン。部屋の中心にテーブルがあり、その周囲にいくつかの椅子。
通信機はテーブルの上に置かれていた。
「アーシャは?」
加奈絵の問いに、ルーナは部屋の外を指差した。
「母さまの部屋に運んだです」
「一人で?」
「はいです。魔法を使ったんです」
「あ、そっか」
ルーナの回答に一瞬目を丸くした加奈絵であったが、魔法を使ったというその言葉に素直に納得した。
魔法は戦闘だけのためのものではないのだ。
すぐにでもアーシャの様子を見に行きたいところだが、今はエリスと連絡をとる方が先だ。
加奈絵と話すためにエリスとの話を切ってしまったそうだし。
通信機は、加奈絵の星の知識を得たアーシャが作ったものだったが、操作方法はすぐに知れた。
何回かの呼び出し音のあと、通信機に、一人の少女の姿が映し出された。
綺麗な金の髪と、左右違う瞳の色を持つ少女。
フルネームはアリシア=エリス=アルカディアと言う。
彼女とは直接会った事もあるが、何度見てもこの瞳の色に惹かれる。
左の瞳は青がかった碧で、もう片方は薄紅色。アーシャに聞いたところによると、左右違う瞳の色というのはこの星――シリスでも珍しいのだそうだ。
「エリス姉さま」
嬉しそうに笑いかけて言うルーナに、しかし、モニタの向こうの少女は呆れたような溜息をついた。
「こっちも急いでるから、伝言だけ残しとく」
「伝言・・ですか?」
記録映像なのだから質問したとて答えが返ってくるわけはないのだが。
多分はずみだろう、ルーナは問いかけの言葉を口にした。
そして予想通り、映像の中のエリスは、ルーナの問いかけなどまったく無視して話を進めた。
「まず、原因はさっきも言った通り気象調整装置」
その単語は加奈絵も聞いたことがあった。
十年前シリスでは世界規模の天変地異が起こって、大変な騒ぎになったらしい。
気象がまるっきり変わってしまったのだ。
その事態を打開するため、四王国はそれぞれの技術を持ち寄って、気象調整装置を造り上げた。
そうして、世界はまた以前に近い豊かさと平穏を取り戻したそうなのだが・・・・・・。
「最近、その歪みのせいで異常生物が発生してたのは知ってるでしょ?
だけど、今回はそれだけじゃ済まなかった。
暴走した空間と魔力に触れた人たち――ま、歪みは世界中に広がってたんだけど――は精神を引き剥がされて・・・。
精神が抜け出ちゃってるせいで、みんな目覚めないってわけ。
でも大勢の人間が一斉に精神だけの状態に陥ったせいで、そこにもう一つの世界が出来あがってしまった。
精神世界ってやつね。ところが、ほとんどの人はそこが精神だけの世界――夢だとは気付いていない。
気付いた者だけが、こうして身体に戻ってきてる。
・・・・・・このままじゃまずい。
早いところ気象調整装置を止めないといけない・・・・・・んだけどさ、動くに動けないんだよね。人がいないから船が出せなくて。
それでルーナにお願いがあるの。
ファレイシアのルーシアって町に、ヴァユっていう名前の、オレンジ髪と青い目の、十二歳の男の子がいるはずなんだ。
彼なら船を出せると思うから、それでこっちと合流してほしいの。
ぼくはレノルって港町に行ってる。大陸の中じゃ一番ファレイシアに近い町だから。
・・・・・・・んじゃ、そういうわけでよろしくっ」
ぷちっと、通信が切れた。
「まーあ、一方的な」
だがそんな言葉とは裏腹に、加奈絵はどこか楽しそうだった。
クスクスと笑って通信機のスイッチを落とす。
一人きりでいるのはきっと心細いだろうに、案外しっかりしている口調に安心したのだ。
「ん〜〜〜〜〜〜でもかなり遠回りです」
「よねー」
アルカディアの大陸は、ここから西に行ったところにある。
ルーシアの町はアルカディアに一番近い港町だ。
だが。
気象調整装置がある四王国の共同領地はここから東南方面。アルカディア方面とは反対方向なのだ。
アルカディアに寄るとなると、一度西に出て、それからまた東に戻って来なければならない。
「よし、二手にわかれましょ」
「え?」
ポンっと手を打って言った加奈絵の案を聞いて、ルーナは不安そうに見上げてきた。
加奈絵はパチンとウィンクをして見せ、自分のミニパソコンを起動させた。
「面倒なことは押し付けちゃおう」
悪戯っぽく笑って言って、通信システムを起動させる。
呼び出し音が鳴ったと思った次の瞬間には、通話状態になっていた。
「おっ、早い」
「当たり前だ、待ってたんだからな」
軽く言った加奈絵に、綺羅はどことなく不機嫌そうな声で答えた。
「で、状況はどうなんだ?」
「人手が足んないのよ。綺羅もこっちに来てくれない?」
そう言って加奈絵は、エリスから聞いた話をそのまま画面の向こうの綺羅と優李に伝えた。
「私とルーナはこのまま直に南に向かうからさ、綺羅こっちに来てそのヴァユって子と合流してくんない?」
加奈絵は最後にそう付け加えて、次に来るだろう綺羅の言葉を待った。
「でもおまえらはどうやって海渡るつもりだ?」
予想済みの綺羅の言葉に、加奈絵とルーナはにこっと笑って顔を見合わせた。
綺羅の方に向き直って、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「領地に一番近い港に領地との往復専用の船があるです。あれは自動操縦だからスイッチひとつで向こうに行けるです♪」
「遅いんだけどねー。港までの距離も含めて二ヶ月ちょっとってトコかな」
普通は港までは馬車を使うのだが、御者も馬も眠りこけてしまっている今、それは不可能だった。
「回ってくと共同領地までどのくらいかかるんだ?」
表情、口調からして承諾してくれる気らしい。が、きちんと確認してくる辺りがさすがは綺羅だ。
だがさすがに加奈絵もそこまでは把握しておらず、ルーナのほうへと視線を向けた。
ルーナは宙に視線を漂わせ、しばらく考えたてから少し自信なさげに答えた。
「んっと・・・ここからルーシアまで、徒歩で二週間くらいです。で、そこからアルカディアに寄って共同領地に行こうとすると、多分二ヶ半月くらいかかるです」
「合計三ヶ月ってとこか」
綺羅は腕を組み、眉根を寄せて呟いた。
「あのぉ、転送装置で直にルーシアにって飛べないですか?」
ルーナの素朴な疑問に、加奈絵と綺羅は首を横に振った。
「無理よ。情報が足りなすぎる」
「情報?」
「転送先の座標に魔物やら人間やらがいたらまずい」
建物ならば回避しようもあるが、もし偶然にも獣や魔物なんかがいる座標に転送しようとしてしまったら、両名の命が危ない。
言われて俯いてしまったルーナのことはほとんど気に留めない様子で、綺羅は加奈絵に視線を向けてきた。
「・・・・とりあえず今からそっち行くから」
綺羅は軽い調子で言ってパチっと通信を切ってしまった。
きっとその後では優李が大騒ぎしていることだろう。
「んじゃ、待ちますか」
ちょっと落ち込んでしまったらしいルーナの背を叩き、加奈絵は明るい笑顔で言った。
二人は通信のあとすぐにいつも転送先となっている部屋――さきほど加奈絵が出てきた部屋の前に向かったのだが・・・・・。
加奈絵は、唖然とした表情でその光景を見つめた。
ルーナは、じぃっとソレを見つめて、放心状態になっている。
二人が部屋の前に辿り着いた時にはすでに綺羅は部屋の中にいた。
ただ来るだけならばともかく、それなりの旅の準備をして、それでこのスピードは脅威的だ。
まあ、通信室からこの部屋までは普通に歩いて十分近くかかるせいもあるのだろうが、それでもたった十分でここまでの準備をしてくるのは大変だったろう。
綺羅は、旅に必要と思われる最低限の物を一通り準備してきていた。ついでに、いくつかプラスアルファな品も持ち込んできている。
食料だとか水だとか――をあの短時間で用意してくるのもすごいが、毛布やら寝袋やらまであるのは・・・・。
一体どうやってそんなものを調達してきたんだか。
少なくともオフィスにはそんなもの常備していなかったはず。
しかし、二人が一番驚かされたのはそんなことではなかった。
ソレを目の前にしては、そんな些細な疑問は吹っ飛んでしまったのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ほえー・・・・・・・・・・・・・・」
加奈絵は、どこか責めるような目で綺羅を見つめる。
放心状態から復活したルーナは、感心したような声をあげて、ソレに魅入っていた。
「なに?」
ニヤニヤと何故か楽しげに笑いながら言う綺羅に、加奈絵は口を尖らせて言い募った。
「どこから持ち込んできたのよ、そんなもんっ!」
「だぁってオレ、バイク通勤だもんよ。オフィスに持ち込むのは大変だったけどな」
座標二箇所を指定しての転送ができればよかったんだけどな、と。
綺羅はそう付け足して悪戯っぽく笑った。
今現在加奈絵たちが使っている転送装置では一箇所の座標しか指定出来ず、故に送信先か受信先。どちらか片方は転送装置である必要があるのだ。
「バイクって言うですかぁ〜」
ルーナは感嘆の声をあげて、珍しげにバイクを眺めていた。
綺羅が持ち込んできたバイクは、改造済みのごつい大型バイク。
スピードもさることながら、何故か収納スペースがついていたりする。本来はヘルメットをしまうスペースなんだろうが、本人ヘルメットを使わないためか、そこは完全な物置スペースと化していた。
どこもかしこもビルと建物ばかりの纏栄のどこでそんなバイクを使うのかと思ったりもしていたが、まさかここに持ち込んでくるとは・・・・・・。
「で、私らの移動手段は?」
「徒歩だろ?」
平坦な声で聞いたその問いに、綺羅はさらっと即答した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なにか?」
加奈絵は恨みがましい視線で沈黙したが、綺羅はすっとぼけて聞き返してくる。
次の瞬間。
「ずっるーいっ!!」
加奈絵の不満の声が部屋中に響き渡った。
「なにがずるいんだよ。これはオレの私物だぞ」
「趣味も入ってるでしょ、絶対!」
「もちろん」
言い募った加奈絵に、綺羅は笑顔で――不自然なくらいに爽やかな笑顔で――答えた。
猫をかぶっている時によく見せる笑顔である。加奈絵に対してはからかう時にしか見せてくれないが。
「それにさ、遠回りな分こっちの方が時間かかるわけだし。短縮出来るならそうしたほうがいいだろ?」
「そうだけどぉ」
正論で返されては加奈絵も納得するしかない。
確かに綺羅の言うことは間違ってはいないのだから。
「ああ、そうだ」
加奈絵が渋々ながらも納得したのを見てとって、綺羅はぽんっと手を叩いて聞いてきた。
「さっきの説明でさ、なんか抜けてなかったか?」
「は?」
唐突な綺羅の問いに、加奈絵はマヌけた声を上げた。
ちなみに、ルーナはまだバイクを眺めている。
「ほらさっきの。歪みがどうとかさ」
「え。なんで?」
エリスはだいたいのところは説明してくれたはずだし、加奈絵はその説明をそのまま綺羅に伝えた。
「だからさ、なんで歪みなんてもんが発生したんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
綺羅の疑問の意味が掴めず、加奈絵はしばらく沈黙した。
そして。
「あっ、そっか」
加奈絵は知っていて綺羅は知らない、あることにようやっと思い至った。
綺羅は、魔法知識を持っていない。
気象調整装置のことは綺羅も知っているが、その原理に使われている物――魔法についてはまったくと言っていいほど知らないのだ。
加奈絵は、ニヤリと楽しげに笑って綺羅を見た。
珍しく優位に立てる状況になったものだから、嬉しくて仕方ないのだ。
「そっかぁ、綺羅は知らないのよねー」
「なにが」
不機嫌そうに聞き返してきた綺羅に、加奈絵はにこにこと笑顔で返して説明してやった。
「シリスの魔法ってのは、自然現象を無理やり歪めて発生させるものなのよ。普通は魔法が発生する一瞬だけしか歪まないから問題ないんだけど、気象調整装置は恒常的に魔法を発生させ続けてるから――」
「バランスが崩れて異常事態発生に至った、と」
「そゆこと」
さすがに綺羅は呑み込みも早い。
話の途中だったがもう理解したらしい綺羅は、あっさり加奈絵の説明を遮って言った。
多分そうなることを予想していた加奈絵は、説明半ばで切られたことはたいして気に留めず、軽い口調で頷いた。
「ルーナ」
とりあえずの話が終わったところで、加奈絵はまだバイクを眺めていたルーナに声をかけた。
「はいです!」
バイクを眺めることに夢中になっていたルーナは、急に名を呼ばれて慌てた様子で加奈絵のほうへと向き直る。
「んじゃ、ちゃっちゃと準備して出かけよっか」
「はいです〜♪」
「ん〜っと・・・・必要なのは食料と地図と・・・・・――」
いつまでも立ち話しているのはどうか、ということで三人は通信室のほうまで戻ってきていた。
加奈絵は指折り数えて必要な物をあげていく。
旅なんぞしたことがないから多分必要とされる物としか言えないのだが、それはルーナも綺羅も同じだった。
「一番の問題は食料かな」
食料は消耗品で、しかも今は途中の町で買い足すということができない。
だがしかし、綺羅はそれはたいした問題ではないと思っているらしい。綺羅は特に何も言わなかったが、その表情でわかってしまった。
「綺羅はそう思ってないみたいね」
だから、綺羅が言う前に先回りして聞いてやった。
綺羅はニッと不敵に笑って答えた。
「買えないってだけで、手に入らないわけじゃないだろ?」
「はい?」
言ってる事がよくわからない。
ルーナも同じだった様で、不思議そうに綺羅を見つめている。
「だって、人がいないってことは譲ってもらうとかも出来ないってことでしょ?」
「それが根本から間違ってるっての」
「えぇ?」
呆れたように加奈絵を見てくる綺羅に、加奈絵は怪訝そうに眉をひそめた。
しばらく呆れ顔をしていた綺羅は、唐突にそっぽを向いた。窓の外を――遠く見つめて、そらっとぼけた調子で言う。
「人がいないってことは勝手に持ち出してもばれないってことだ」
「それ、泥棒じゃないっ!」
ガタンっと勢いよく立ちあがって怒鳴った加奈絵に、だが綺羅は平然とした様子で答えた。
「仕方ないだろ? 実際それしか方法はないわけだし」
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
どうしても納得しきれない加奈絵であったが、それでも、今の状況ではそれが一番手っ取り早いのも確かで。
「仕方ないですけど、でも出来るだけここから持ち出してくです」
意外にもルーナはあっさりと納得したようだった。
とはいえ、その言葉を聞く限り、やはり気が進むことではないようだが。
二人が泥棒もどき――もどきではなく立派な泥棒なのだが、認めたくない――に納得してしまった時点で、加奈絵の反論は意味をなくした。
綺羅は言って聞くような人間ではないし――どうせまた言い負かされるに決まっている――、ルーナは一度決めたらテコでも動かないタイプだ。
「そうね。最悪それも仕方ないとして、でも出来るだけ城のを持ち出させてもらいましょ」
加奈絵は無理やり自分を納得させて、最後の抵抗とばかりに大きな溜息をついた。
準備に少しばかり手間取ってしまい、出発したのはその翌日だった。
ちなみに、一番時間がかかったのは実は地図の準備だったりする。
基本的に綺羅がサリフィス担当で、加奈絵がファレイシア担当であったため、さすがの綺羅も文字までは覚えていなかったのだ。
地図の地名という地名に全部纏栄の文字でふりがなをふったのだが・・・・・・。
ルーナは、纏栄の文字どころか言葉も知らない。
おかげで加奈絵一人でその作業をするハメになったのだ。
三人は、街を囲む外壁の門の前で互いに顔を見合わせた。
加奈絵とルーナが向かうのは南。綺羅が向かうのは西。
次に会うのは共同領地。
「じゃ、またあとでね〜♪」
綺羅の冷静さと聡明さを知っている加奈絵は、なんの不安もなく軽い調子で言った。
そんな加奈絵の様子を見て、綺羅は呆れたように半眼で加奈絵を見つめる。
「本当に、二人だけで大丈夫か?」
「だーいじょうぶよぉ。ね、ルーナ♪」
「はいです!」
元気に手を叩き合う二人の様子を綺羅は冷めた視線で見つめていた。
「なんか文句でも?」
綺羅の視線に気付いた加奈絵は、睨み付けるように綺羅を見返した。
「いーや、なんでも。じゃあまたあとでな」
思いっきりなげやりな調子で答えた綺羅は、言うが早いかさっさと行ってしまった。
「私たちも出発しよっか」
「は〜いっ」
あっという間に遠くなってしまった綺羅を見送ってから、二人も歩き出したのだった。