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第3話〜佐藤麻美(1)
「ん〜〜〜っ」
思いっきり伸びをして、眠たい身体を無理やり起こす。朝早くの空気って気持ちはいいんだけど、やっぱ早起きは苦手。
現在時刻、朝七時。現在地、学校の校門の前。
授業が始まるまでにはまだまだ早い時間だけどちらりほらりと人はいる。部活動の朝練とか、わたしみたいに委員会の仕事とかね。
人は少ないけれど活気は充分、体育系の部活の掛け声の間をすり抜けて校庭を横断し、校舎に入る。
まず向かうのは事務局。
「すみませーん。図書委員ですけど、鍵を借りに来ましたー」
この時間は職員室に先生がいないから、事務局の方に借りに来ないといけないんだ。まあ、距離としては大差ないからどっちでもいいんだけど。
事務局には、今日の早番らしい事務員さんが一人だけいた。手続きをすっ飛ばして鍵を渡してくれる。
本当は借りる時には貸出名簿にクラスと名前を記帳しないといけないんだけど、しょっちゅう来てるから顔も名前もしっかり覚えられちゃったみたいなんだ。
二年連続で図書委員やってるせいなんだろうけど、理由は他にもまだある。
朝当番は月一回なんだけど、わたしってばよく最後まで図書室に残ってるんだ。ホントは当番の人が戸締りと鍵の返却をやらなきゃいけないんだけどね。わたしも図書委員でその辺の勝手がわかってるもんだから、皆わたしに鍵を預けて先に帰っちゃうんだ。
まあ、半分くらいはわたしが悪いんだけどね。
図書室の閉まる時間は夕方五時。でも学校の最終下校時刻は午後七時。
……読み始めるとさ、ついつい止まらなくなるのよ。
お母さんにもいっつももうちょっと早く帰ってきなさいって言われるんだけど、たぶん治らないだろうなあ、本の虫は。
そんなことをつらつらと考えつつ。いつものように図書室の扉の鍵を開けようとした時――。
ガタっ、と。
図書室の中から物音が響いた。
鍵は、閉まってる。窓は、ちゃんと戸締りしたのを覚えてる。
ここは今、密室のはず。
だから可能性としては、昨日からここに残ってたか――って言っても、それもホントはあり得ないとわかってる。だって、昨日はわたしが最後だったんだから――どろぼうか。先生の誰かがなんかの用事で先に入ってるって可能性もあるけど、だったら鍵を閉めるのはおかしい。
この時間に図書委員が来ることは、先生ならみんな知ってるはずなんだもの。
………………。
ううっ。なんでこんな時に七不思議なんて思い出すのよぉ、わたし。
どこの学校にでもある怪談話、七不思議。もちろんこの学校にも七不思議はあって、そのひとつの舞台がここ図書室なんだ。
恐い話って読むだけなら好きなんだけど、体験したいとはカケラも思わない。……実は遊園地のお化け屋敷も入れないし。
だって、本なら恐くなったらすぐやめれば済むけど、お化け屋敷じゃあそういうわけにはいかないでしょう。
で、本物はもっとゴメン被りたい。途中で止められないうえに、無事にすまない可能性だってあるじゃない。
「きゃあっ!?」
なになになにっ?
悶々と考えてたわたしの耳に、いきなり大きな音が飛び込んできた。
さっきのが本が落ちた音ぐらいだとすると、今度は誰かが思いっきりコケたような感じの音。
……どーしよっかなあ。
ううん、開けないわけにはいかないんだけど、誰か呼んで来ようかな……。
でもそれでいざ開けて何もなかったらちょっと気まずいかも。んー……――
「ん?」
声が聞こえた。
人の声? それも男の子の声。高めの声だけど、絶対女の子じゃないと思う。変声期前の男の子って感じ。
となると、先生じゃないのは絶対確実。
生徒って可能性も結構低くなっちゃった。だって、高校だよ? ほとんど皆、変声期は中学時代に済ませてる。
結局最後には、なんかもー悩んでたのがバカみたいに勢いよく扉を開けてみた。
悩むのがめんどくさくなったとも言う。
静かな空気の中に、ガラっと大きな音が響く。入口から見える範囲では誰もいなかった。
本棚で仕切られた通路の置くに向かう――と。
「……やあ」
なんか不良っぽい感じの人が、困ったように笑って片手を上げた。
ちなみにどの辺不良っぽいかというと、蒼い髪とか金色の瞳なあたり。綺麗な色で、目の前のこの男の子にとっても似合ってはいるんだけど……。普通、蒼い髪なんて、染めないとならないと思うし。
制服は着てない。そもそもこんな目立つ容貌だったら絶対他の学年でだって噂になってるはず。いかにも外人って感じはしないけど――彫りが深くないせいかなあ――でも日本人の顔立ちともちょっと違う雰囲気。どちらでもない、でもどっちにも見えそうな……美形ではないけど、可愛い感じ。
女のネットワークを舐めてはいけない。こーんな可愛い子が同じ学校にいたら、ぜーったい、リストの上位にいると思うんだ。
……そう考えると、ここの生徒じゃない…。でも学校内は基本的に部外者立ち入り禁止だし、転入生?
それにしては、こんな時間、しかも鍵を開ける前から図書室の中にいたっていうのが謎だけど。
「ねえ、ここで何してたの? 鍵、閉まってたはずだけど……」
「あー……えっと…うん」
とりあえず気になってたことを聞いてみたら、思いっきり目を逸らされた。言葉を濁す彼を見つめて告げた。
「職員室には誰もいなかったし、事務局の鍵は私が今借りてきたところだし……」
「ああ、うん……」
イマイチ、歯切れが悪い。
「転入生?」
一応の可能性を考えて聞いてみたら、
「いや、そーいうわけじゃないんだけど……」
あっさりと否定されてしまった。
彼の見かけはどうがんばって見ても十四、五歳ってとこ。ちょっと多めに見てそのくらいだから、パッと見にはもうちょっと下な感じ。
転入生ではない。年齢的に考えて、先生でもない。
となると……不法侵入の部外者?
でも、ざっと窓の方を見る限り、無理やり窓を開けたような跡もないんだよねえ。
まあ、見る限り害はないみたいだし――さっきは不良っぽいなんて思ったけど、良く見れば彼の雰囲気はいわゆる不良とは程遠い――だけど怪しいのは間違いなし!
先生に報告……したほうがいいかなあ、これ。なんかもー、見なかったことにしておきたい気もするんだけど。
「あぶないっ!」
「え?」
突然の叫びに思考が止まる。
瞬間的に視線が、叫びをあげた目の前の彼に向く。
ふっ――と。
目の前が暗くなった。
続いてバサバサと何かが―――っていうか多分本の落ちてくる音。一冊や二冊ではなくて、直撃したら怪我してたかも。
音につられて上に向けていた視線を戻すと、彼はすまなそうに――でもななんか軽い雰囲気で、乾いた笑いを浮かべていた。
「ごめん。多分オレがこっちに落ちてきた時に、上の方の本が不安定になってたんだな」
わたしと彼の周囲をまあるく囲んでいた暗さが消えて、改めて周囲を見まわすと、そこには十数冊の本がバラバラと床に散らばっていた。
「今の…?」
本が落ちたことではなく、あの黒い壁。あれのおかげで本の直撃を受けずに済んだのはわかるんだけど、なんでそんな現象が起こったのかがわからない。
「ああ、数が多かったからこっちの方が楽だったんだ」
「そうじゃなくって」
「なくて?」
今の妙な現象をなんでもないことのように言う彼に、ちょっと興味が沸いた。
その理由はこの図書室の七不思議に起因する。
だって普通の人間はこんなことできないもん、なんだかファンタジー小説の魔法みたいだった。
「ねえ、落ちたって、どこから?」
半分以上信じられない――でも心の片隅のどっかではちょっぴり信じ始めてる学校七不思議のひとつを思い出しつつ、問いかけた。
本棚は多いけど高さはあまりないここの本棚。彼の背丈はわたしと同じかちょっと低いくらいだけど、それだけあれば本を出すのに不便はない。つまり、台に乗ったりする必要がないから『落ちる』って事態が発生するのはおかしいのよ。
「出口がなんか空中にできてたから」
またも彼はあっさりと妙なことを言う。
「出口? どこからの?」
「オレがいた世界からの」
…………。
えーと。
もしかして、ビンゴ?
彼の言葉をそのまま受けとめるなら、彼はここじゃないどっか別の世界から来たってことで、それって、図書室の怪談の話と合うんですけど。
ぐるぐると学校の怪談、七不思議が頭を巡る。
わたしはあんまり詳しい方じゃないけど、図書室の話は良く知ってる。
真夜中――本の中の登場人物が現れる。でも人の気配がするとサッと隠れてしまって、もし見つけられたら……彼らは、目撃者を本の世界に引きずり込んでしまうって話。
まあ、よくある話よね。
色々噂と違うところはあるけど――今は朝だし、目の前の彼はわたしをどうこうしようという気はないみたいだし――でも現実離れしたもん見せられちゃったしなあ。
「本の中の世界?」
まさかまさかと思いつつ、開き直って聞いてみた。
「うん、そう」
……冗談、言ってるように…見えたらいいんだけど…。本人はいたって真面目な感じ。
「出た先が学校でちょっと助かったかも」
「ん?」
「大人よりも子供の方が、まだ聞く耳持ってくれるだろ? 不可抗力なのに犯罪者にはされたくないし」
一応、自分が不法侵入だって自覚はあるのね。
「それで…帰らないの?」
聞いた途端、
「迎えが来るまで帰らない」
思いっきり頬を膨らませて、不機嫌に返してきた。
「迎え?」
「うん」
「…………」
こーいうの、なんか覚えがあるんだけど。
「家出?」
むすっと顔を逸らした彼の態度を見て、確信した。
なんの事情か知らないけど、家出した彼は何故だか自分の世界を飛び出して現実世界に来ちゃったわけだ。
勢いで家出して、帰るに帰れないって感じね。わたしも覚えあるわあ。
「そっかー。うん、まあ、頑張って」
本好きとしては本の中の――ファンタジーな世界の住人かもしれない彼にはとっても興味があるんだけど、でも一般的感覚として、関わらない方が利口だと判断した。
でもくるりと背を向けようとしたら引きとめられて、再度彼に向き直る。
すると彼は、パンッと胸の前で両手を合わせて告げた。
「オレ、宿無しの一文無しなんだ。これもなんかの縁だと思ってさ、手ぇ貸してよ」
どうしようかと悩んでいたら、沈黙を肯定ととったらしい彼に礼を言われて、結局。
うやむやのうちに面倒を見ることになってしまった。
……わたしも扶養の身なんだけどなあ……。
どうしよ。
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