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第17話〜高橋恵琉(5)

 一瞬、すぐには事態が把握できなかった。
 魔物に襲われて、今のボクには戦闘能力なんてほとんどないから、とりあえず退避しようと思って。
 ぽんっとジャンプして飛び乗った屋上に出る扉の屋根の上には、もう先客がいた。
「こんにちわ」
 下の様子に気付いてないのか、にっこりと笑う、制服姿の女の子。
 最初は、こんな寒いところで何をしてるんだろうって思った。
 けど。
「……リリス?」
 姿はまったく違うケド、その気配は『幻想世界』を創った人、初代女王・リリスのものによく似てた。
 ほとんど吐息に近い呟きには、彼女は気付かなかったみたいだった。
 満面の笑みを崩すことなく、そっと手を伸ばしてくる。
 えーと、何がしたいんだろう、彼女。
『握手じゃないの?』
「初対面の人にするもんなの、それって?」
 人間のなかでもお偉いさん同士は――王さまとか政治家とか――やるみたいだけど、ボクはあれ、嫌い。もともとボクは、人に触られるの、あんまり好きじゃないんだ。
「っ……ああーーっ!!」
 恵琉との会話に意識を向けていたその数秒の間に。
 ボクが持っていたはずの『本』が、彼女の手に移っていた。
 ……違う。初代女王だったら、こんなことはしない。
 穏やかに笑って、魔物退治とボクたちの帰還に協力してくれるはずだ。
 ふわりとスカートを靡かせて飛び降りる彼女を追って、ボクも床へと飛び降りる。いつもならどうってことないのに、思った以上に身体に負担がきた。
 うう〜、膝が痛いっ!
 普通の人間にはたいしたことない程度なのかもしれないけど、肉体的な痛みに慣れてないボクにはけっこう辛い。人間の身体って痛覚があるから嫌いだ。自分の身体なら撃たれようが斬られようが全然痛くないのにっ。
『だ、大丈夫……?』
 恵琉が、小さな子供にするような声音で聞いてくる。
「だいじょーぶ」
 別にね、痛いけど害はないから。かといって不機嫌を隠す気もないから、思いっきりぶすむくれた声で答える。
 しゃがみ込んだ膝を立ててその場に立ち上がる――と、ちょうどラシェルちゃんと綺羅と視線が合った。
「取られたっ!」
「え?」
「『本』、取られちゃった!!」
 本当ならすぐに追っかけるのが正しいんだろうけどね。
 痛いのに動くの、ヤダ。
 とりあえず現状を伝えるべく告げたら、
「なにやってんだ、バカっ!」
 綺羅に思いっきり怒鳴られた。
 なんでボクが怒鳴られなきゃならないんだよ!
「バカじゃないもんっ!!」
「きっちり『本』持ってろって言っただろうがっ!」
 持ってたよ。でも、仕方ないじゃない!
「だって上に人がいると思わなかったんだから仕方がないでしょ!」
 しばし綺羅と睨み合う。
 視界の端で、ラシェルちゃんが額に手を当ててがっくり肩を落としてる。わかってるよ、非常事態だって言うんでしょ。
 今現在『幻想世界』を守る女王はボクだし、もうちょっと責任持てってところかな、ラシェルちゃんが言いたいのは。
 でもねえ……別に、誰かを守りたくて女王やってるわけじゃないし。ま、あそこには大切な人が一人、住んでるから。一応、守るべくの努力はするけど。
 まったく、綺羅のほうが大人なんだから、ちょっとは譲ってくれたっていいと思わない?
 どっちも引かない睨み合いを続けつつ、思う。
 ちなみにこの場合、実年齢は関係ナシね。見た目はボクのほうが年下だから、ボクのほうが子供ってことにしといて。
 あ、とうとう諦めたらしい。
 ちょうど綺羅からは死角になってて気付かなかったみたいだけど、ラシェルちゃんはボクたちに声をかけることもせずに『本』を持ち逃げした女生徒を追って校舎の中へ入って行った。
 ……さっきの状況で、顔、見えたのかな?
「お?」
 ん?
 ふと気付くと、綺羅がきょろきょろと辺りを見まわしてる。
 なんだ、もしかしてやっと気付いたの?
「ああ。ラシェルちゃんならさっきあの子追い掛けてったよ」
「言えよ動く前にっ!」
 視線は明後日の方向に。言葉は今ここにいないラシェルちゃんに。
 でもさあ、言える雰囲気じゃなかったのも確かだと思うんだ、ボクは。ま、綺羅やボクだったらそれでも割り込むんだろうけど。
 一度怒鳴ったあと、綺羅は空を眺めた。
 夕暮れは夕闇に変わっていて、校庭に人影はまったくなかった。学校内に見える明かりは職員室くらい。
 んー……探しに行ったほうが良いのかなあ。
「迷子になっても探さないからな」
 は?
 唐突に言われた言葉の意味を探して、ボクはちょっとだけ黙り込んだ。
 ……ねえ、なんか間違ってない?
「迷子はキミたちのほーでしょ。ボクがいないと『道』が開けないんだから」
 もしも帰る方法が見つかった時……んーん、この場合はこっちの人間の身体から離れる方法を見つけた時、かな。ボクがいなかったら『幻想世界』への道、開けないと思うんだけど。
 本を取り戻したって、綺羅もラシェルちゃんも『道』の開け方なんて知らないもんね。二人とも女王の力を持ってはいるけど、実際に『女王』の役目を果たしたことはないから。
 綺羅もボクの言わんとすることはわかったらしい。
「……訂正。探すの面倒だから動くな」
 ものすっごく不本意そうに、渋々とそう言った。
 ボクはもちろんおもいっきり頬を膨らませて棘だらけの台詞で言い返してやる。
「ええ〜? 今人間の身体だから寒さちゃんと感じるんだけど」
「じゃあわかりやすい場所にいろ」
「命令ばっかりしないでくれる?」
「ヤだ」
 ……。
 お互い向かい合ってしばし沈黙。
 綺羅は無言のままにボクに背を向けて、そのまま、宙へと足を進めた。
 まあ、もう夕闇が迫ってて視界は悪いし、人も少ない。飛んだって目撃者は出ないだろうけどね。
『万里絵瑠はどうするの?』
 恵琉の問いに、ボクはにっこりと笑って見せた。ユーキちゃんに言わせると、小悪魔的だけどものすごく可愛い笑み、らしい。
「リリスのとこに行って来る」
 あの娘……リリスとそっくりの気配を持ってた。
 今『幻想世界』を守るべきはボクの役目で、リリスはとっくにその役目を放棄してる。
 だから、こっちからリリスに逢いに行くことはしないでおこうと思ってた。けど、どうもリリスも一枚噛んでるみたい。
 本人意識してか、無意識なのかは知らないけど。
『リリス?』
「『本』があるところにいるはずなんだ、リリスも。金髪に紫の目の女の人、覚えない?」
 問われて、恵琉はしばし考えこむ気配を漂わせる。
『あ。うちのガッコの司書が確かそんな感じの外見だったわ』
「彼女は今どこに?」
『さあ? 最近姿見ないけど……休みとってんのかも』
「頼りにならないなあもう」
 ふうと思いっきり溜息をつけば、恵琉は拗ねたような声音で返してくる。
『図書委員でもなけりゃあ、司書と話す機会なんてあんまりないのよ。麻美ちゃんなら多分知ってるよ』
「麻美って、えーと……綺羅と一緒にいる?」
『そう』
「……結局追いかけなきゃいけないんぢゃないか、メンドくさい」
『だったら職員室か事務局行けば?』
「えーっと……」
 そのふたつの単語は聞いたことがある。ボクにはあんまり縁のない単語だけど、ちょっとだけ学校に行った事があったから。
「どっちの方?」
『明かりがついてるとこ』
 ぐるっと屋上から校舎を眺めてみたら、明かりのついてる窓は一箇所しかなかった。正門近くの一階の窓だ。
 だけど。
「どうして魔物がここにいるの?」
 ふいと上から降って来た聞き覚えのある声に、ボクはすぐさま振り返った。
「ボクからも質問。あれは、なに?」
 ふわりと金髪のポニーテールを風に靡かせて、初代女王・リリスは、屋上へと降り立った。
 話の展開について来れないのか、恵琉は茫然とした様子で、口を挟んでこようとしない。その方が楽でいいけどね。
 多分そのうち向こうから姿を現わすだろうことは予測してた。
 もともと彼女は『本』の傍にいるはずだし、もし一時的に『本』を手放してたとしても、『幻想世界』の魔物が『現実世界』に被害を及ぼしてるなら、放っておくはずがない。
 そして、『幻想世界』そのものを創った彼女は、その気配に誰よりも聡い。『現実世界』に『幻想世界』の気配があれば、リリスがその存在に気付かないはずがないってね。
「魔物のことはボクも知らない。ただ、きっかけは……ユーキちゃんだと思う。誰かが、ユーキちゃんを唆して『道』を開けさせて、好き勝手やってるんだ」
 その誰かは、多分……リリスとそっくりの気配を持ち、『本』を持ち去ったあの娘だ。
 問題は、あれが何者かってこと。
「その誰かは……さっき貴方が聞いてきた者のことよね?」
「知ってるの?」
 リリスは少しだけ考えこむような仕草を見せて、それから――どうもラシェルちゃんやあの娘のいる場所がわかってるみたい。――校舎の方に目を向けた。そっと俯いて、言う。
「知り合いじゃないけど、心当たりはあるわ。……私は、私の力のコントロールが下手だから」
「ふーん。そー、そーゆーこと」
 ああもう。わかっちゃったよ、それだけで。
 リリスの力は創造。思い描いたイメージを現実のものとすること。
 その力のコントロールが下手ってことは、つまり。
 現実にしようと思っていなくても、強いイメージは勝手に現実のものになってしまう可能性があるってこと。
 そしてリリスは。
 一時期、とても強く、願ってた。
 現実に――生まれた世界に帰りたいと。
 リリス本人はきちんと帰ってこれたけど、現実に帰りたいけど『幻想世界』を放っては行けないと思っていたその時期に、『現実に帰ろうとする』自分の分身みたいなのを創り出しててもちっともおかしくないと思う。
「じゃあ彼女は、どうして騒ぎを起こしてるんだろうね」
 思いっきり棘を込めて言ったけど、別に聞かなくてもわかってたりする。
 だって、ねえ。
 彼女自身に自覚があるかどうかは知らないけど、同じ世界に自分のオリジナルとも言うべき人がいるんだもん。
 会いたいと思うのって、ごく普通のことじゃない?


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