■■ アリスの鏡〜第2章 2話 ■■
理事長室は特別教室がある校舎の一階にあった。
入学してから一度も縁がなかったし、気にした事もなかった加奈絵は、まず事務室に行って理事長室の場所を聞いたのだが・・・。
「けっこうこっちにも来てるんだけどなぁ・・・。初めて知ったわ」
加奈絵は、どこか呆けたような表情で、立派な扉を見つめて呟いた。
特別教室とは音楽室やら美術室やらを指している。だから特別教室しかないこの校舎自体は、加奈絵にも馴染みのあるものだった。
だが、理事長室を知らなかったのも無理はない。
校舎は全部で四つある。学年ごとに分けられた校舎が三つと、特別教室だけを集めた校舎が一つだ。
基本的に一階は昇降口と各学年担当職員の職員室、それから保健室が置かれている。
一階、三階、五階にある渡り廊下を使って校舎を行き来するが、一階の渡り廊下はみな職員室付近にあるため、使う生徒は少ないのだ。
加奈絵もその例に洩れず一階の渡り廊下を使ったことはなく、自分の学年以外の校舎の一階に降りた事は一度もなかった。
理事長室の扉は、学校という施設の中にはそぐわない立派な造りをしていた。
思わず呆けてしまった理由はそこにある。
理事長室の扉は大きな両開きのドアで、そのドアに施されている彫刻細工も細かくて綺麗なものだった。
「こんなとこにかける金があるなら全教室エアコン装備しなさいよ」
一部の私立を除いたほとんどの学校がそうであるように、この学校も普通教室にはクーラーがなかった。
クーラーがあるのは特別教室と保健室。それとむかつく事に職員室。夏場の図書室は涼み場として一番賑わう場所だった。
ぶつぶつと口の中で文句を言いつつ、加奈絵はその立派なドアをノックした。
「どうぞ」
声とほぼ同時に、扉が開く。
「自動ドア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
もう文句よりも呆れが先に立ってしまう。
「ようこそ、橘加奈絵さん」
そう言って加奈絵を迎えたのは、理事長と聞いて連想していたよりもずいぶん若い青年だった。
「どうも」
軽く会釈をしてから部屋の中に入ったが、青年よりも部屋の様子に目が行ってしまう。
悪趣味ではないが――むしろ趣味の良い内装だが――やはり金がかかっているのは見る者が見ればすぐにわかる。
ぐるりと部屋を見まわしてから、青年の方に向き直った。
「えっと・・・・・・一体何の用なんでしょうか?」
「とりあえずの用件は君の能力値のことだよ」
「は?」
思わず、そのまま聞き返してしまった。
「えと・・・・なんで学校で・・・?」
この国には、能力値――ソーサラーランクとも言う――という言葉がある。ソーサラーの人数や能力は戸籍と同じように国に登録されており、国が定めた基準に従ってランクがつけられるのだ。
言い方が悪いかもしれないが、ソーサラーランクが高いほど国から見て有用度が高い能力だと言える。
最初は生まれた時。能力はたいていが生まれつきのものなので、生まれた時点でソーサラーかどうかを調べるのだ。
そこでソーサラーと認定されたら、次は、十歳と二十歳の年に能力審査を受けなければならない。
赤ん坊の時点ではどんな能力があるかまでは調べられないし、十歳の時点では本人も気付いていない能力が存在する場合もある。
ちなみに、現在の加奈絵のランクは上から数えて三つ目のランクだ。
加奈絵の問いに、青年は苦笑して答えをくれた。
「一応役所に来るよう通知を出したんだが、一向に連絡がなかったものでね。家に行くよりはこちらで呼び出す方が都合が良いんだ」
「なんで?」
家だろうが学校だろうがどっちもそう変わらないような気がするのだが・・・。
青年は、今度はがくっと肩を落とした。苦笑は苦い笑いに変わる。
「キミ、もしかして知らないの・・・?」
「何をですか?」
「この学校、国立なんだよ」
ああ、言われてみればそんなような気もしないでもない。
だが普段の生活では学校が私立だろうが国立だろうが町立だろうがたいして変わらないのだ。
「まあ、とにかく、そういうことで。君がいつまでたっても役所に来てくれないからこっちで呼び出す事になったんだ」
「はぁ。・・・・で、能力値がどうかしたんですか?」
「君の能力値が上がったんだよ」
青年は脱力してしまった気分を変えるかのようにきちっと座りなおしてから言った。
「ええ? 審査まであと四年あるのに?」
十歳の時点での能力値が二十歳の審査で変わる事はそう珍しい事ではない。だが、審査もしてないのに能力値の認定が変わるなんて初めて聞いた。
「基本的には審査の結果を見てから登録を書きかえるんだけどね。審査以外でも能力の変化が見られれば書きかえる事があるんだよ。普通は書きかえの可能性が認められた時点で通知を出して役所に来てもらって審査を受けてもらうんだけど・・・・」
そこで青年の言葉が一瞬止まった。表情が真剣なものに変わる。
「君の場合は審査を受けてもらうまでもなく、書きかえが確定していたんだ」
先ほどまでの親しみやすい雰囲気が一気に消えうせてしまった。
今、青年の瞳にあるのは、見極めようとする意思。
「以前の審査では、設備無しでデータに接触する能力しかなかった。でも今、君は自分自身をデータ化してネットワーク内に移行させる能力を持ってるね」
「ええ、持ってるわよ」
正確には少し違うのだが、間違ってはいないので頷いて見せる。
「でもどこで?」
まさかいちいちソーサラー全員に監視をつけているわけもないし・・・・・・第一そんなことをしたら人権侵害とかプライベートの侵害とか言われてあちこちから叩かれるに決まっている。
「君がハッキングした中にうちのデータがあったんだ」
「はぁ? ハッキング〜?」
一瞬ドキッとしたが、表には出さずにとぼけて答えた。
痕跡を残すような間抜けなハッキングをした覚えはない。
「痕跡もなにも残さない完璧なハッキングだったけど、それでも見つかる可能性はゼロじゃないって事さ。
今日の放課後、役所まで来てくれないか? なに、逮捕しようってわけじゃない。うちは警察じゃないからね。でも、来てくれないなら君のハッキングの証拠を警察に転送してもいい」
「・・・・・・・・・・それ、脅迫って言わない?」
半眼でぼやくように言う加奈絵を前に、青年は穏やかに笑って見せた。
「そうとも言うかもね」
「いいの?」
「仕方ないだろう。君が通知を無視するからこんなところで話すはめになったんだ」
さっき言っていた”とりあえずの用件”は能力値の事。でも本当の用件は別にあると言う事だろう。
加奈絵はしばらく考えてから、ゆっくりとした口調で問い返した。
「えっとぉ・・・つまり、私の能力が必要だから協力してほしいってコトかしら? でもここでその内容を話すわけにはいかない、と」
青年が、驚いたように加奈絵のことを見つめた。
「ああ、そういうことだ。役所についたら住宅課の方に声をかけてくれればいい」
「はーいっ」
やる気のない返事を返して、加奈絵は理事長室を出た。
「・・・住宅課?」
理事長室の前で、加奈絵はポツリと呟いた。
住宅課とはその名の通り、住宅地区に関する処理をしてくれる役所内の課だ。
引越しをする時にその届出をする先であり、それ以外にも不当な立ち退きや土地不足問題や・・・・とにかく、土地に関する一通りの問題を請負い、処理する課だ。
その住宅課が、加奈絵に一体何の用があるというのだろう・・・・?
加奈絵は首をかしげて、でもすぐに、行けばわかると思い直して教室に戻っていった。