■■ アリスの鏡〜第2章 3話 ■■
その日の放課後、加奈絵は早速役所へ向かう事にした。
一度家に帰るのは面倒だからそのまま直行だ。
「かな!」
ちょうど校門のあたりで声がかかる。うんざりするくらいに聞きなれた声。
綺羅だった。
「なーにー?」
立ち止まり、振りかえる。
「何言ってんだよ、今日は帰りにゲーセン寄る約束だったろ?」
「え?」
しばし考えこむ。
「・・・・・・・・・・・・・・あ、そういえば」
役所の謎に思考が傾いていたおかげですっかり忘れていた。
綺羅は憮然とした表情で、ピッとこちらを指差した。
「勝ち逃げは不許可だ」
週に何度かの割合で綺羅と勝負しているのだが、たいてい結果は加奈絵の全勝で終わる。
今まで何百回といろいろなジャンルのゲームで勝負してきたが、負けた回数はまだ十にも満たなかった。
綺羅は加奈絵と会うまではほぼ全戦全勝。相手が年下の女ということもあって余計に悔しいらしい。
一見クールに見えて、意外と負けず嫌いなのだ、綺羅は。
「でもさー、ぼく、今日用事できちゃったのよ。終るまで待っててくれるなら構わないけど」
「用事?」
「うん。役所に行かなきゃいけないの」
綺羅の顔に疑問符が浮かぶ。
「役所に何の用なんだ?」
それを聞かれると実のところ加奈絵も良くわかっていない。
とりあえず確実な事柄だけを選んで答えた。
「んっと・・・なんか能力値のランク書き換えたいんだって」
この説明で綺羅は納得してくれたらしい。
まぁそれも加奈絵との付き合いの長さ故だろう。
綺羅が、いつ頃からいわゆる不良の溜まり場みたいなところに顔を出すようになったのかは知らないが、初めて会った時加奈絵はまだ十一歳で、ようやくデータ読みこみ以外の力の使い方を知り始めた頃だった。
綺羅は、加奈絵の十歳の時の能力審査のことを知っている――昔ちょっとした話題として出た事があった――から今になってのランク書き換えにも疑問を持たなかったのだ。
「ならそんなに時間はかからないか。一緒に行って待ってる」
「そう? それじゃ一緒に行こう」
さらりっと言う綺羅に対してこちらもさらっと答え、二人は公的機関のある地区へと向かった。
役所の建物に入った加奈絵が向かったのは、理事長室の青年が言ったとおり住宅課。
加奈絵の進行方向に気付いた綺羅が不思議そうな顔をした。
「能力の書き換えなら戸籍課だろ?」
「うん、そうなんだけど、住宅課の方に来てほしいって言われたから」
「・・・それ、能力書き換えじゃなくて仕事の依頼じゃないか?」
しばらく考えた後、綺羅は呆れたような口調で言う。
どういうことかと聞き返すと、綺羅は意外にも丁寧に教えてくれた。
ランクA以上のソーサラーには時々お役所から依頼がくるのだそうだ。
その依頼を受けるかどうかは基本的には自由。受ける場合はちゃんと相応の報酬ももらえる。
ちなみに綺羅の現在のランクは特A。一番上のランクだ。
「俺は何度か依頼を受けたことがある」
「へぇー・・・意外。そういう面倒なの嫌いでしょ、綺羅?」
「二、三日でカタつくやつだけな。それに政府からの依頼を受けると内申が良くなるんだ」
やっぱり打診で動いている綺羅に溜息をついて、加奈絵は、そう、と半眼で呟いた。
「あれー? 綺羅くん、加奈絵ちゃん」
可愛らしい女の子の声に呼ばれて、二人は前方に視線を向けた。
通路の向こうからやってきたのは加奈絵と綺羅のクラスメートだった。
彼女も能力者で、名前は梧紫野(あおぎりしの)。ふわんっと天然パーマのかかった黒髪と、ピンクの瞳が可愛い、女の子らしい女の子である。
「紫野ちゃん。どうしたの、こんなところで」
先に声をかけたのは綺羅だった。いつもの猫かぶり口調だ。
加奈絵が、不気味なものでも見るような目で綺羅を見た。
綺羅は一瞬だけ加奈絵を睨みつけて、すぐに紫野との会話に戻る。
「住宅課の人に呼ばれたの。ほら、何年か前から土地不足問題で騒いでたでしょ? その関連よ」
「あ〜〜〜・・・そういうことか」
綺羅が一人で納得した表情をした。
「どういうことよ」
加奈絵は綺羅が一体何に納得しているのかまだわからず、口を尖らせて聞き返した。
「土地不足は、二つの解決方法が提示されてる。一つは、空中都市の建設。もう一つは、ほかの星への移住。
でも両方を実行する予算はないからどっちを採用するかでもめてるんだ。とりあえず両方を試験的に実行してみて目算がありそうなほうを正式採用するって方向で動いてるらしいケド」
「だから何よ」
「もしほかの星への移住なんてことになったら宇宙船をいくつも建造する必要がある。でも、今の状況じゃ予算的にそれは不可能。だったら他の方法を考えなきゃいけないだろう?
加奈絵は本来なら無機物しか通れないネット空間に入りこめる。人間を転送出来る装置の研究に協力してほしいってトコロじゃないか?」
綺羅は口にはしないものの、ここまで説明しなきゃわからないのか、と態度が言っている。
加奈絵はムッとした表情で綺羅を睨んでやったが、綺羅は平然と受け流した。
多少ムカムカするものの、もう一つの疑問を氷解させるために質問を続けた。
「ってーと紫野ちゃんは?」
「空中都市にしろ異星に行くにしろ、そのすぐに土地に適応した農作物が作れるとは限らない。土地にあった植物を作るために協力してほしいって依頼じゃないか?」
綺羅はいともあっさりとそう言った。
「すごーいっ。大当たりよ」
紫野は目を真ん丸くして、それから感心したように微笑んだ。
紫野の能力は、植物の意思を感じ取り、植物の成長を手助けする。
たとえば、とても細かい世話を要求される繊細な植物も簡単に花咲かせられるし、熟すまで長くかかる実だってその半分以下の日数で育てられる。
そればかりか、本来植物が育てないような土地でも立派な植物を育てることが出来るし、枯れた植物さえも生き返らせる事が出来るのだ。もちろん、そんな無茶をやれば紫野にかかる負担もおおきくなるだろうけれど。
上手く利用すれば普通の半分以下の元手で八百屋や花屋を開けるし、未開の土地でそこの土地に合う植物を見つけるのも大得意だ。
「受けたの?」
加奈絵が問うと、紫野は穏やかに微笑んだ。
「学校生活に支障が出ない程度ならって言ったけどね。そういえば・・・今更だけど、二人も呼ばれたの?」
「呼ばれたのはわたし。綺羅は勝手についてきてるだけよ」
「あ、もしかしてこれから行くところ?」
紫野が慌てたような表情で聞いてきた。加奈絵はうん、と頷いて答える。
加奈絵の答えに、紫野はさらにあたふたと焦っていた。
「〜〜ごめんね、足止めさせちゃって」
本当に申し訳なさそうに謝る紫野に、加奈絵は笑顔で大丈夫だと返し、また明日、と言葉を交わして紫野とわかれた。
そして二人は廊下を進み、住宅課の受けつけにやってきた。