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 アリスの鏡〜第2章 7話 

 目が覚めて、最初に目に入ったのは石の壁だった。
 頭に鈍い痛みがあるが、たいした傷ではないだろう。多分。
 傷を確認し――鏡を実体化させて見た――その傷がただのタンコブであることを確認して、加奈絵はほっと一息ついた。
 そうして改めて周囲を見渡した。
「牢屋・・・・・・・・・?」
 正面に見えるは一面の石の壁。左も同じく。そして、右には鉄格子があった。
 その向こうには廊下があり、奥に階段が見えた。
「なんでこうなるのよーーーーーーーーーっ!!」
 思わず叫び、直後、外が騒々しくなる。
 そこで加奈絵はあっと声を上げた。
 今の声で加奈絵が目覚めた事に気付いて、外が騒がしくなったのだろう。
 だが、特に誰かが降りてくる様子はない。
 ひたすら待つこと十数分。外は騒がしいままだった。
 そして、バタンっと扉の音。と同時に聞きなれた声がした。しゃべる言葉はやっぱり知らない言語だが、あの声は間違いなくラティクス=ノートのものだ。
 強い口調で言うラティの声に続いて聞こえてきたのは、これもやはり聞き慣れた声。
 アーシャのものだ。
 彼女も強い口調で言い返していたが、ラティのそれと違って、その声音はあくまでも穏やかであった。
 穏やかであっても彼女の口調はラティ以上に強く、穏やかであるからこそ余計に迫力を持っているように感じられた。
 そうして、アーシャとラティが姿をあらわす。
 それは、あのシミュレーション空間内で見た二人と寸分違わぬ姿をしていた。
 一瞬、友達に再会した喜びを持ったがすぐに思いなおす。
 二人と出会ったのはシミュレーションという電子空間の中。そして、ここは現実世界。例えどんなに似た姿、似た声、似た性格を持っていようと、加奈絵とは初対面なのだ。
 アーシャは加奈絵の正面に立つと、威厳ある瞳で、静かに言った。
「魔物の言葉を話す貴方は何者ですか?」
 加奈絵の瞳が驚きに見開かれる。
「なんで話せるの!?」
 素朴な問いに、アーシャは淡々とした口調で答えた。
「最初は話し合いで解決出来ると思っていました。彼らが何故この地を荒らすのか聞き、事情があるなら解決策を捜すために彼らの言葉を学びました。
 あなたは何故この国に来たのです?」
 加奈絵の頭にいくつかの答えが浮かぶ。
 正直に話す、適当にぼかして話す・・・・・――とにかく敵ではない事をわかってもらうのが最優先だ。
 嘘をつくと今は良くても後々まずいコトになりかねない。
 信じてもらえないかもしれないことを承知の上で、出来るだけわかりやすく、真実を話すことにした。
 こうなったら、あのシミュレーションでのアーシャと、現実のアーシャの性格があまりズレていないことを願うのみだ。
「止めるため」
 真っ向からアーシャを見つめ、短く、強く言う。
 アーシャが眉をひそめる。
「あの魔物たちをですか?」
「そう。今私の世界は、すっごい土地不足に悩んでるのよ。今は土地不足解消のためにいろいろな方法を試してるとこ」
 アーシャの表情がきつくなる。だが、加奈絵が言葉を続けようとしている事に気付いているのか、口は挟まなかった。
「その方法の一つが他の世界への移住。その移住先を侵略によって得ようとしてるって聞いてほっとけなかったの」
 アーシャの表情は硬いままだった。信じてもらえなかったのだろうか・・・・・。
 加奈絵は少しばかり不安になってアーシャの瞳の奥を窺う。そうして、最後に一言つけ足した。
「何万もの人間皆が同じ考え方してるわけじゃないでしょ。侵略をしている同じ世界の人間が、侵略を止めようとしたっておかしくないじゃない」
 アーシャはまだ沈黙を保ったままだった。
「・・・・・・・・・・・・信じられないのも仕方ないと思う。でも、せっかく来たのに何もできないままはイヤ」
 きっぱり言い放つと、アーシャの表情がふっと緩んだ。
「あの魔物たちは手強いです。何か手はあるんですか?」
「まかせてっ! その辺は考えてあるから」
 信じてもらえた!
 加奈絵の表情がぱぁっと明るくなる。嬉しさのあまり思わず立ちあがる。
 加奈絵は早口にまくしたてた。
「土地問題には移住以外にもいくつか策が提案されてるの。で、採用されるのは一つだけ。だから一月くらい妨害してれば侵略は中止されるはずよ」
「・・・・・・・・・・・・わかりました。私個人としては貴方を信用します」
「個人としては?」
 どこか遠まわしな物言いに加奈絵は首を傾げる。
「ええ、私個人です。私は王ではありませんから。お父様に進言してみますが、そこから出せると保証はできません」
 アーシャの言葉に納得した加奈絵は、不謹慎ながらも楽しげに笑った。
 ――やっぱり、あのアーシャだ。
 そんなふうに思えたのだ。それが、嬉しかった。
「ああ、そういうことね。仕方ないわよ。私が魔物たちと同じ世界からやってきたのはホントなんだから」
 加奈絵はにっこり笑って、牢から去るアーシャを見送った。
 去り際、ラティがぎろりとこちらを睨みつける。加奈絵は思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
 そして・・・・・・・・・・・・・・・・。
「かっ、変わってない。一緒だぁ〜〜〜っ」
 バタンと扉が閉まる音を確認してから加奈絵は腹を抱えて大爆笑した。
 ラティのあの態度。初めて会った時の彼を思い出した。
 初めて――と言ってもそれはシミュレーション内での初対面の事を指している。
 シミュレーション内で出会ったあの日、加奈絵は魔物に襲われそうになっていた。それを追いかけてきたのがアーシャ。アーシャはいともあっさり魔物を倒してしまったが、ラティは加奈絵がアーシャを危険な目に遭わせたと解釈したのだ。
 思いっきり睨みつけられ”ちびがき”だなんて呼ばれたのだ。当然、その後も二人の折り合いは悪く、犬猿の仲とも言える状態になってしまった。
 いつも間にアーシャが入ってくれたので、あまり大事にはならなかったが。
「いっやぁ、笑った笑った」
 数分間も笑い転げ、加奈絵はやっと落ちついた。
 そして、おもむろに真剣な表情を見せる。
「さてっと。出してもらえればいいんだけど、出してもらえなかった時のことも考えないとねー」
 とはいえ、実は加奈絵は出してもらえるものと思っていた。
 アーシャは信じてくれると言った。彼女の性格を考えれば、もしもの時の責任も全部自分で何とかするという覚悟を持ってのことだろう。
 きっと多少の無茶を言ってでも加奈絵を出すことを承知させるはずだ。だからと言って自由に動けるようになるわけではないだろうけれど。監禁場所が牢屋ではなくなるだけ・・・というのが妥当なところだろう。
 何はともあれ、まずは待つ事だ。
 魔物――侵略用の戦闘ロボット――との戦い方はもうだいたい考えてある。
 となれば策を実行に移すには外に出るのが先決なのだが、こればかりは果報は寝て待て、だ。
 下手に脱獄しようとしたって立場が悪くなるだけなのだから。
 特にやることもなく、暇な加奈絵はとりあえす睡眠をとる事に決めて石の床に足を投げ出した。



 それからどのくらいたっただろう・・・・。
「起きてください」
 最初は、どこか遠慮がちな声。
「起きてください」
 次はさっきよりもすこし強い調子。
「っもう、起きてくださいな!」
 ガチャン、という音とともに、呆れたような大声が聞こえてきた。
 熟睡していた加奈絵もさすがに目を覚ます。
「やっと起きてくれましたね」
 アーシャがにっこりと笑った。
「お父様の許可を頂きました。私の部屋でゆっくりお話しましょう」
「え・・・・・・・・・・・・・・」
 まだ寝ぼけた頭はアーシャの言葉をすぐには理解できずにいた。
 数秒の間をあけてやっと頭が覚醒しはじめる。
「あ、うんっ。わかった、ありがとう」
 交渉してくれた事に礼を言い、加奈絵はさっとその場に立ちあがった。
 鉄格子の向こうにはラティが突っ立っていた。やはりアーシャの行動に納得がいかないらしい。けれどその苛立ちをアーシャにではなく加奈絵にぶつけてくる。
 思いきり睨みつけてくるラティを半ば無視して、加奈絵は牢を出た。
「こちらです」
 アーシャが穏やかに言う。
 加奈絵の後ろから、ぶつくさと文句を言いながらラティが続く。
 城の内装や造りは、シミュレーションで見たのとまったく同じだった。よくここまでデータを収集できたものだと感心する。まあそのおかげで今助かっているのだが。
 しばらく歩いた後、アーシャは一つの扉の前で立ち止まった。ここがアーシャの部屋なのだろう。
「どうぞ」
 アーシャに続いて加奈絵も部屋に入る。ラティは扉の前で立ち止まった。
 一応、護衛としてのケジメはつけているらしい。
「まずはあなたの考えを聞かせてください。一月の足止めで充分だと言っていましたが、言葉で言うほど簡単ではないと思いますよ」
 アーシャはそう言って笑った。
 年相応の笑みではなく、上に立つものとしての、威厳に満ちた笑みだった。

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