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 終わりと始まりの日〜第1章 2話 

 その日の放課後。加奈絵は帰りのホームルームが終わった途端、教室を駆け出した。
 何故かと言うと、彼女――万里絵瑠が、加奈絵以上の早さで教室を出ていってしまったからだ。ホームルームが終わってから、ふと絵瑠の席を見やったときにはもう彼女の姿はなかったのだ。一番ドアに近い席だとはいえ、脅威の素早さである。
 多分あの茜くんと一緒に帰るんだろうなー、などとぼんやり思いつつ、校門の前で立ち止まる。
 基本的に裏門は使用されず、いつも閉まっている。結城のところに寄っているならば、ここで待ち伏せしていれば絵瑠に会えるはず。
 そして、加奈絵が校門に辿り着いてから数分の後。結城を引きつれた絵瑠が、姿を現した。
 絵瑠と目が合う。加奈絵はにっこりと笑って絵瑠のほうへと駆け寄った。
 絵瑠は、意外そうな表情で加奈絵を見つめた。
「本気だったんだ」
 言葉に似合わぬ淡々とした声音に、加奈絵はとびきりの笑顔とガッツポーズで答えた。
「もっちろん♪」
「・・・・嘘だろ・・・・・・あいつらになんて言うんだよ」
 後ろで結城がボソッと言っていたが、加奈絵は絵瑠に習って無視を決め込むことにした。
 それにしても・・・・・・”あいつら”ということは絵瑠の家にはまだ他にも住民がいるのだろうが、結城の言い方が気にかかる。
 結城の言い方は、家族に対するそれではなく、友人ですらない。ただの知り合いに対するような言い方だ。
 一つの家にまったく赤の他人が暮らしているのだろうか?
 下宿、という言葉が加奈絵の脳裏に浮かぶ。だが、友人でもない人物と、マンションの一室で同居というのも珍しい。
 まあ、行けばわかることだ。そこまで気にするようなことではないだろう。
 何故か妙に嬉しそうな顔で道を歩く絵瑠の横で、加奈絵はそんなことを考えながら歩いていった。




 絵瑠が住んでいるというマンションは、加奈絵の家から徒歩数分ほど歩いたところにあった。
 エレベーターで十階まで上がる。絵瑠が立ち止まった扉の表札には”万里”と書かれていた。
「ただいま〜っ♪」
 絵瑠は、明るい声とともに扉を開けた。
「お帰り、絵瑠」
 そう言って中から顔を出したのは二十代前半と思われる青年。男の人にしては少し長めの薄茶の髪に、青い瞳。穏やかな顔立ちに華奢な体つき。結構ハンサムな部類に入るのではいだろうか。
 思わず見惚れてしまった加奈絵の腕を絵瑠が引っ張っていく。
「遊びに来たいって言うから連れてきちゃった☆」
 絵瑠の言葉に、青年はこれ以上ないくらい嬉しそうに笑った。その笑顔を確認して、絵瑠もまた笑顔で返す。
「・・・・これだからイヤなんだよ・・・」
 後ろで、結城が深い溜息と共にぼやいた。
「僕は万里裕」
 裕は、にっこりと微笑み、加奈絵を居間へと招き入れてくれた。
「絵瑠ってワガママだから、嫌われたらどうしようとか思ってたんだけど・・・・・・。いらぬ心配だったみたいだね」
「ボクそんなにワガママじゃないもんっ!」
 絵瑠はぷぅっと頬を膨らませて反論するが、裕はそれを笑って受け流した。
 後ろから歩いてくる結城の周辺だけ微妙に空気が暗いのは気のせいだろうか・・・・。
「さて、絵瑠のお友達のためにお茶でも用意しようかな。ちょっと待ってて――」
「私がやりましょうか? ついでですけど」
 裕の声を遮って、キッチンの方から女性の声が聞こえた。
 ひょいっとキッチンから顔を出した女性は十六歳前後。金髪に緑の瞳。彼女は、いわゆるお嬢様っぽい雰囲気を纏っていた。
「ああ、君らもお茶にするところだったんだ?」
「はい。少しくらい人数が増えたって手間はそう変わりませんから。裕様はマリエル様とどうぞお話していてくださいまし」
「それじゃあ、お願いするよ」
 裕の言葉に、女性はにっこりとしとやかな微笑で返し、キッチンの方へと戻っていった。
「彼女も同居人?」
 加奈絵は絵瑠に視線を向けた・・・・が! どうやら絵瑠はすでにこちらは目に入っていないらしい。絵瑠の意識は思いっきり裕に向けられていた。
 そんな様子に見かねたのか、変わりに結城が答えてくれた。
「ああ、彼女とあともう一人いる」
「へえ〜、大所帯なのね」
 感心した風に言う加奈絵に、結城は苦笑した。
「大所帯って言っても全部で五人。普通の家族単位だろ」
「そりゃ家族ならね。でも、家族じゃないんでしょ?」
「・・・・・まあな」
 なぜか不満げに答えて、結城は奥に視線をやった。
 結城の視線の先には廊下があり、多分その奥にはいくつか部屋があるのだろう。そこに、残る一人がいるのだろうか。
「は〜いっ、お待たせしましたの〜っ♪」
 彼女は明るい声と共にキッチンから出てきた。手に持ったお盆には、可愛らしいティーポットとカップ、それと皿に盛られたクッキーが乗っていた。
「ありがとう、アルテナ」
 裕が言う。
「・・・・アルテナ?」
 聞きなれない響きに加奈絵は首を傾げた。
 アルテナ、アルテナ・・・・・・いったいどんな字をあてるんだろう?
「愛称ですの、気にしないでくいださいまし。私、紫音(しおん)と申しますの☆」
 加奈絵の疑問に気付いたのか、彼女は自分から名乗ってくれた。
 いったいどういう経緯でついた愛称なのか謎だが・・・・まあいい。
「苗字は・・・・・・茜さん? それとも万里さん?」
 結城の苗字は茜。絵瑠と裕の苗字は万里。赤の他人が複数名同居しているのならこれとまったく違う苗字と言う可能性もあるが、彼女の苗字はどちらだろう。
 加奈絵の素朴な問いに、紫音は困ったような様子で視線を漂わせた。
 紫音の視線が絵瑠に向く。絵瑠は、不機嫌そうに紫音を見つめ返した。
 そうして、今度は紫音の視線は結城に向けられた。結城はただ苦笑しただけだった。
「茜・・・ですの」
 紫音は、何故か、拗ねたような口調でそう答えた。
「ね、もう一人は?」
 さきほど結城に聞いたところではもう一人いるはず。加奈絵は好奇心に任せて聞いてみた。
「羅魏くん・・・ですか?」
「へぇ、羅魏っていうんだ」
「ええ。・・・・では私、羅魏くんにお茶を持って行きますので。ゆっくりしていってくださいましね」
「ありがと〜♪」
 紫音は優雅に会釈し、奥の廊下の方へと歩いていった。その後姿を見つめて、ぽつりと呟く。
「・・・・美人さんねぇ」
 加奈絵の呟きに、結城は眉を寄せて紫音が去った方を見つめた。
「そうか? 絵瑠のほうがずっと美人だけどな」
 それは、間違いなく結城の惚れた弱み的主観だろうと加奈絵は思ったが、さすがにそれを口には出さなかった。





 結局、絵瑠はほとんど裕と話しており、加奈絵は裕を挟んで絵瑠と話す形になった。
 なんとなく・・・・あの屋上での結城と絵瑠のやりとりの意味がわかった気がする・・・・・・。
 結城が、絵瑠と裕の接触を快く思っていない理由も。
「ようは三角関係ってやつね」
 一人家路についた加奈絵は、マンションを出たところで楽しげな声で呟いた。
 結城は絵瑠が好き、絵瑠は裕が好き、裕は・・・・どうなってんだか知らないが、とりあえず絵瑠とは仲が良いようだった。
「ま、人の恋路に首を突っ込むつもりはないけどサ」
 まるで他人事の口調で言い、加奈絵は家へ向かって歩き出した。
 ちょうどその時、
「・・・・・・?」
 急に暗さが増したような気がして、加奈絵は上を見上げた。
 夕刻とはいえ、まだ陽が落ちるには早いし・・・・・・。
 当初は雲が出てきたのだろうと思っていた。だが、そこで加奈絵が見たものは想像もしていなかった黒い空。
「なに・・・あれ・・・・・・」
 加奈絵は、空を見上げて呆然と立ち尽くした。
 さっきまで夕陽に赤く染まっていた空。その一角が、黒一色に染め上げられていた。
 慌てて太陽があるはずの方角へと顔を向ける。確かに、そこには落ちかけた夕陽があった。
 だが、黒い空の真下となっているこの場所では、その光が弱くなってしまっているのだ。
 あんな現象、見たことも聞いた事もない。
 ゆくりとした歩調が、駆け足に変わった。
 今もっているミニパソコンで調べられる事なんてたかが知れている。
 だが、家に帰れば高性能のパソコンがあるし、テレビで何か言っているかもしれない。
 何か・・・・・・嫌な空気が広がっているような気がして、加奈絵は、全速力で家に向かった。

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