■■ 終わりと始まりの日〜第1章 4話 ■■
三十分も待たされて、やっと兄弟喧嘩が終わった。
ホワイトボードをきちんと書き直し、並んでソファーに座った二人を見て、加奈絵は小さく笑いを漏らす。
見つからないように・・・と思ったのだが目敏い二人には気づかれてしまっていた。
「さっさと行くぞ!」
座ったと思ったらすぐに立ちあがってしまった綺羅は、しっかり自分の分のおやつを持って後ろも見ずに自分の部屋に行ってしまった。
「ごめんなー、愛想ないやつで」
沙羅が苦笑してフォローを入れる。
「そんなことないですよー」
ここでしか見られない”可愛い”綺羅の姿を思い出してクスクスと笑いながら、加奈絵も立ちあがった。
「これ、ありがとな。すごく美味しいよ」
沙羅は、加奈絵が用意した紅茶――ティーバックではなく、きちんとした茶葉で出したものだ――を片手に笑ってみせた。
綺羅と違い、意識的に女の子にもてようとしている部分はあるが、やはり兄弟である。人の心を掴むタイミングがものすごく上手い。
加奈絵は朱に染まった顔に両手を当てて、それからそれを誤魔化すかのようににっこりと照れ笑いを返してから綺羅を追った。
綺羅の部屋に入った瞬間、綺羅がニヤリと楽しげに笑ってこちらを見ているのに気付いた。
「で、どこに行けば良いわけ?」
こういう時の綺羅相手に余計な言葉はいらない。目的だけをしっかり言えば、それで事足りる。
「とりあえず気象庁だろ、それから――」
綺羅が次々あげていったのは全て役所の名前。つまり、綺羅は国のデータバンクにハックしろと言っているのだ。
さすがの加奈絵も渋面な表情で綺羅の言葉を確認した。
「それ・・・・・・完全犯罪者なんだけど・・・・・・」
心なしか加奈絵の肩が震えている。
「見つからなければ犯罪じゃない」
「この前見つかったばかりじゃないのーーーーーーーーっ!」
忘れもしない、今から約一年前。違法なハッキングを役所に見つかってしまったのだ。その時は役所の都合もあり、運良く警察沙汰にはならなかったのだが、あんなことは二度とご免だ。
それ以来加奈絵は、違法ハックは一応、控えるようにしていた。
「そのフォローにオレが動くんじゃないか」
「・・・・・・あっそう」
もう、何を言っても無駄だ。
わかっていたことだが、実際にそれが現実になるとやはりムカツク。
「やればいいんでしょ、やれば。でももしもの時はあんたも共犯だからね〜」
「わかってるよ」
半ばやけっぱちに言った加奈絵に、綺羅は明るく答えた。
渋々といった感で始めたハッキングだが、いざ行動を起すとなると、加奈絵はかなり楽しげに動いていた。
もともとこういった行為は趣味も同然だったのだ。
――加奈絵のハッキング能力と、綺羅のフォローと・・・・・二人がかりの捜索にも関わらず、有益な情報は何一つ得られなかった。
つまり、
「やっぱ国のほうでもアレの正体はわかってねーか」
「そうみたいねー」
身体ごとネット空間内に入って調べていた加奈絵も、現実空間に戻って溜息をついた。
「んじゃ、次行くか」
「どこに?」
立ちあがった綺羅に、座ったままの加奈絵が問いかける。
綺羅は加奈絵の問いには答えず、ひょいっと棚からスニーカーを出してきた。
「外・・・・・・ね」
どこに行こうとしているのか察した加奈絵はチラリと窓の外の光景に目をやった。この街の上空、一部分だけ黒く染まった空。
「そういうこと、百聞は一見にしかずって言うだろ」
靴紐を結びながら、浮かれた様子で言う綺羅に、加奈絵は呆れたような口調で――でも、どこか楽しそうに言った。
「なんで部屋に外履き用意してあるのよ」
「人のこと言えないだろ」
綺羅はこちらを向きさえせず、加奈絵の問いには答えないままに窓から外へ出ていった。
加奈絵もよく窓から出入りする。そのために自室に外履きを用意したりしているのだ。
たぶん、綺羅も加奈絵と同じ理由で部屋に外履きを用意しているのだろう。そう納得できてしまって、言い返すことも出来なくなった加奈絵は気のない返事を返して、玄関に向かった。
綺羅はいつもの念動力で、加奈絵はプログラムを実体化させた飛行具で、黒い空の中心部に向かう。
中心部――と言っても、正確には中心部の真下だ。さすがにいきなりあの空の中に突っ込んでいくほど無謀ではない。
黒い空の中心部は、街の東外れにある繁華街の上あたり。運が良いと言うべきか、ここは普通の人はあまり近づかない場所だ。
役所や一般の大人たちは放棄地区と呼んでおり、一般立ち入り禁止となっている。とは言え、見張りはザル。入ろうと思えば簡単に入っていける。
加奈絵や綺羅はこのあたりを”繁華街”と呼んでいるが、そこは呼び名に反してパッと見には寂れた地区だ。だが、それは見かけだけのことであり、実際には俗に言う犯罪者や浮浪者、不良などと呼ばれる人種が集う場所だった。ちょっと裏に行けば・・・・・・ほんの少し、必要な知識を持ってさえいれば、そこは様々な店と情報が行き交う賑やかな地だ。
――そろそろ目的地に着こうかという頃だった。
このあたりは黒い空の影響で昼間でも薄暗くなっていた。だが、雲は存在しないし、鳥もこのあたりには近づかなくなっていた。
それなのに、突如暗さが増した。
上になにかあるのか――そんな風に考えたわけでもないが、加奈絵は半ば反射的に顔をあげた。
「・・・・・・?」
何かが、降ってくる・・・・・・。
段々と近づいてくるそれに、加奈絵は言葉を失ったままそれを見つめた。
「カナ?」
止まったままの加奈絵に気づいて、綺羅が後ろを振り向く。
「なに、あれ・・・・・・」
加奈絵の視線は、降ってくるそれに貼りついたままだった。
綺羅は、怪訝な顔をして加奈絵の視線を追う。
「獣・・・?」
確かに一見すればそう見えなくもない。少なくとも、人間ではない。
だが、その距離が縮まるにつれて、降ってくるそれが獣ですらないことが判別できた。
一言で言えば、異形の怪物。
ゲームや物語の中ではよくありそうな・・・・・・けれど、現実にはあり得ないモノ。
彼らは、加奈絵たちのそばを通り過ぎ、すぐ下の大通りに着地した。――直後!
怪物たちの視線が一斉にこちらに向く。
思わずビクっと身を引いた二人に構わず、彼らはそれぞれにこちらに向けて攻撃を放ってきた。
空にいるこちらには届かないだろうなんて思っていた加奈絵だったが、それは甘かった。彼らの咆哮と同時に、彼らの前に黒い槍が現れ、その槍が全て二人に向かって飛んできたのだ。
「きゃあぁぁぁっ!!」
大袈裟な叫び声を上げたわりに、加奈絵はあっさりと槍をかわした。
綺羅は冷静に槍と怪物を観察しながら、ある時は自身が移動し、またある時は能力で強引に槍の軌道を逸らした。
「大丈夫か?」
珍しく焦燥を含んだ綺羅の問いかけに、加奈絵はしっかりと頷いてみせた。
「ロボット・・・ってことはないよな?」
「絶対にない」
加奈絵はきっぱりと言い切った。
今のところ、ソーサラー能力以外の方法で何も無い所に物質を実体化させることはできない。故に、ロボットに転移などという特殊能力を付加することは不可能だ。
「上から降ってきたのよね」
綺羅が近づいてきてくれたのを良い事に、加奈絵は怪物から視線を外して上を見た。
もう、怪物が降ってくる様子はない――とりあえず。それを確認して、加奈絵はもう一度下に視線を戻した。
地面に着地した怪物たちがそれぞれバラけて散っていく。
「ヤバイんじゃない・・・?」
綺羅は答えない。
「綺羅?」
「面倒だなー。でも一応倒しとかないと被害出そうだよなー。・・・・・・なあ、通報だけして終わらないか?」
あまりにも呑気、薄情な言葉に加奈絵は下を見ていた綺羅の肩を掴み、無理やりこちらに向けた。
「あ――」
言おうとした言葉が、呑み込まれる。
「なに?」
綺羅は平然と問い返してくるが、その瞳は声と表情に似合わぬ真剣な光を放っていた。
加奈絵は一つ溜息をついて、腰のポシェットに手を伸ばす。
CDを一枚選び取り、そこに記録してあるプログラムデータから光線銃を実体化させた。
実を言えば、本来こういった武器の所有は立派な違法なのだが・・・・・・データを実体化させる技術のない現在、データでの所有は違法にはならない。
「ほらっ、さっさと行くわよ」
言うが早いか機械の翼をはばたかせて急降下する。
射程距離ギリギリで引き金を引いた。銃身から放たれた光が、怪物たちをなぎ倒す。
その後ろから、綺羅が飛び出した。
「んじゃ、次はオレの番だな」
やっぱり緊張感の足りない口調で綺羅はおおきく手を振りかざした。
綺羅と怪物の中間地点あたりに大きな炎が出現する。念動力で原子運動を加速させて生まれた炎だ。
炎が、怪物の一体に向けて宙を滑るように飛んでいく。
一体の怪物が炎に包まれ、低い唸り声をあげながら倒れた。
「ああっ! 減ってる〜〜〜〜〜〜!」
さきほど降りてきた怪物は全部で二十。今、倒したのは三体。で、今この場に残っているのは一体。
いつのまにやら残り十六体は裏通りに入ったのかビルの中に入っていったのか、そこから姿を消していた。
「残りを追うぞ」
残った怪物を能力で吹き飛ばし、綺羅は、低い声音で静かに言った。
「綺羅は右、私は左ね」
「了解」
短い言葉の応酬の後、二人はそれぞれ別方向へと飛び去った。