■■ 終わりと始まりの日〜第2章 3話 ■■
絵瑠と羅魏が、加奈絵に背を向けて歩いていく。
二人を見送った綺羅が、静かに加奈絵を見つめていた。
いつもと変わらない笑みで言う。
「ご協力ありがとう、加奈絵」
わざとらしく丁寧にお辞儀をする。
こういう態度をする時の綺羅は相手をからかうことを楽しんでいるか、もしくは不機嫌な時だ。
「仕方ないじゃない。綺羅が思い出すなんて思ってもみなかったんだもん。
能力を使えない女王と、女王代理と、女王の魂――能力――のカケラの持ち主・・・・・・三人同時に相手にしても勝てると思ってたんだけどな」
加奈絵もまた、普段のじゃれあいと同じように拗ねて見せる。
綺羅と話すのは楽しい。
例え会話の内容がどんなものであっても、テンポよく交わされる言葉の応酬は楽しいやりとりであった。
「ま、協力って言っても黙って見てただけだけどね♪」
「それがでかいんだよ。オレらが話してる間に攻撃しても良かったし、オレの攻撃を避ける事もできたんだからさ」
ニヤリと楽しげに笑って言うが、途中でふいと口調が変わった。
羅魏の行動を思い出しているのだろう。
羅魏は、女王と――言いかえれば、綺羅の前世と――とても深い関わりを持っていた。現世と前世の人物を同一視していた羅魏は、前世と現世がまったくの別人だと気づいた瞬間――それを気づかせるために綺羅は加奈絵に攻撃したのだが――あっさりと綺羅に対する執着心を消してしまった。
綺羅はそれを良い事だと思っているのだろうが、面白くないのも事実・・・なのだと思う。
その気持ちは、加奈絵にも少しわかる事ができた。
・・・今、橘加奈絵の心は二つに割れていた。
綺羅といるのは楽しい。けれど、綺羅を殺さねば自分の望む未来はない。
「終わりにしよう。さっさと始めようよ、でないといつまでたっても終わらないから」
言いながら、加奈絵は自分の右手に力を集中させる。
だが、こちらはいつでも攻撃できる体勢だというのに、綺羅はまったく動く気配を見せなかった。
防御しようとする意思すら感じられない。
綺羅の瞳は今も、加奈絵を一人の友人として見ていた。
「・・・・・なんで動かないの。何もせずに殺されるつもり?」
苛立たしげに言って、集中させた力を綺羅に向けて解き放った。
だが加奈絵の放った攻撃は、綺羅にはかすりもせずにその後ろへと消えていった。
綺羅は眉一つ動かさなかった――まるで、当たらないのが当たり前だとでも言っているようだった。
「オレは、どうして前世なんてモノを思い出したと思う?」
突然の問いかけに、加奈絵は眉をひそめた。
綺羅の瞳はどこか哀しそうだった。だが、その表情は嬉しそうに笑っているようにも見えた。
「・・・女王の力を使った戦いを見たから? それとも、羅魏のせい?」
だがそれはあり得ないと思っていた。魂の記憶の在り方と、身体の記憶の在り方は違いすぎる。だからこそ普通は前世の記憶など持っていないし、持つ事はできない。
どんな状況であれ、身体を持っている限り魂の記憶を引き出す事はできないと・・・加奈絵はそう判断していた。だからこそ、三人同時に片付けてやろうなんて思ったのだ。
「どっちもハズレ」
いつもの綺羅だ。
加奈絵をお子様扱いしてからかう、いつもの綺羅の口調。
「じゃあ何よ?」
綺羅のペースにはまってはいけない。そうでないといつまでたっても綺羅を殺せない。
頭ではわかっていても、つい、つられてしまう。加奈絵は腰に手を当てて、子供っぽい仕草と表情で返した。
「加奈絵だよ」
「え?」
初めて・・・・・かもしれない。
こんなふうに静かに、穏やかに・・・優しく笑う綺羅を見るのは。
「オレは昔・・・っても正確にはオレじゃないんだけど、まあとにかく大事な人を守れなかったんだよ。
こんなこと言うの情けないんだけどさ・・・・・・オマエら二人の戦いを見てて・・・オレは怖くて動けなかった。
でも、声が聞こえた。ずっと昔の、記憶の奥底から聞こえてきた――もう、大事な人を助けられないのはイヤだ――って。
その時だよ、思い出したのは。もちろん、隅から隅まで全部覚えてるわけじゃない。きっと忘れてる事の方が多いだろうさ。
でも、それで充分だった。
怖かろうが、情けなかろうが、とにかく動かなきゃ後悔するってな」
そこで綺羅は言葉を止めた。
一度瞳を閉じて、深呼吸してからゆっくりと瞳を開く。
真剣そのものの表情で真正面から加奈絵を見つめた。
「だから、オレは、加奈絵と戦う気はない。
――加奈絵を、助けたいんだ・・・・・・」
・・・・・・痛かった。
綺羅の瞳が、声が、言葉が・・・・・。
加奈絵は視線を逸らし、俯く。
「無理よ」
震える声で、きっぱりと言い放った。
「無理じゃない!」
一瞬の間すら置かずに言い返した綺羅。
だが、加奈絵はゆっくりと綺羅の方に視線を向け、穏やかな声で諭すように言った。
「いないの、もうどこにも。
綺羅の知ってた”橘加奈絵”はもう死んでしまった・・・。
封印されてた”彼女”は、前世の記憶を持つことなく、平和に暮らしてた。ずっとこのままで良かったのに、封印は消えてしまった・・・・・・。
楽しかったよ、綺羅・・・。だから、私の心は二つ。
死を望む私と、生きようとする私。
・・・・・・もう・・ね、綺羅の知ってる橘加奈絵は死んだの。
殺したのは私・・・・。――死を望み、滅びを望む私。
殺されたのは、私。――何も知らず・・・知らないが故に生きようとした私」
加奈絵は右手を差し出し、その手のひらを綺羅に向けた。そこには、攻撃手段として創り出された黒い光が漂っている。
綺羅は腕を組んで、加奈絵の様子を見つめていた。
攻撃しようとしているのが見えているはずなのに、なにもしようとはしなかった。
放とうとした力が、手のひらの上でそのまま停止する。
綺羅はいつもと同じように、ニヤニヤと意地悪く笑って加奈絵の行動を眺めていた。
当初は無視していたが、とうとう無視しきれなくなって集めた力を一旦消し、綺羅に向かって思いっきり怒鳴りつけた。
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜もうっ! 言いたい事があるならさっさと言いなさいよ。
綺羅っていっつもそう。意地悪! こっちが気づくまで何も言わないのよね。
さっきの羅魏の時だってネェ、口で言えばいいのにいきなり突飛な行動に出るし。どーせ私は頭悪いですよ、綺羅と違ってね。
・・・・・・だから、言ってよ。言ってくれないとわかんない!!」
綺羅はわざとらしく深い溜息をついて、呆れたような表情をして答えた。
「できないことを言うなよ」
「何が!」
「チャンスはいくらでもあったろ? 今だって、さっきだってそうだ」
言われて加奈絵は言葉に詰まる。
たとえば、今。
綺羅が何もしないならそのまま攻撃すればよかったのだ。
さっきだって綺羅は避けようとすらしなかったし、その前・・・絵瑠と羅魏と話している時に攻撃してもよかった。
でも、加奈絵はそうしなかった。
「じゃあ・・・じゃあ、どうしろって言うのよ!」
悲鳴にも近い声音で、叫ぶ。
わかりはしない。
綺羅には絶対わからない。
今の綺羅も、前世の記憶を持っている。けれど、加奈絵のそれとは違いすぎる。
思い出そうとすれば思い出せることと、忘れようとしても忘れられないこと――どちらも”覚えている”という言葉で括ってしまえる。・・・・・・けれどその意味には、大きな違いがあるのだ。
加奈絵が――”滅びを望む者”が死にたがる理由。
加奈絵が、生きたいと願う理由。
そのどちらも、”忘れられない”ことに起因している。
それは加奈絵でなくとも――”滅びを望む者”でなくとも、誰にでも起こりうること。
ただし普通と違うのは、それがただの自殺では終われないこと。
忘れられないが故に、全てを滅ぼさねば――転生さえもできないようにしなければ、”死”ぬ事ができない。
加奈絵は、今にも泣きそうな――必死ともとれるような表情で、綺羅を睨みつけた。