■■ 神様の居ない宇〜第1章・Bloody doll 3話 ■■
それはずっとずっと昔のこと。
この”箱庭”を創る前・・・・・・・絵瑠がまだ”管理者”ではなかった頃。
絵瑠がまだ万里・絵瑠ではなかった頃。
もう、数えるのもやめてしまった。少なくとも数億年は経っていると思う。
その箱庭のその星は大きな戦をしていた。互いに相手を倒すためにより強力な武器・兵士を求めて研究が続けられていた。
そんな研究所の一つで絵瑠・・・・・・Lは、生まれた。長い間戦争を続けてきたせいで兵士が減り、それに代わる物を作り出そうとした結果だった。
Lの前にも十一の実験体がいたが、その全ては失敗作だった・・・・Lも含めて。が、ある意味でLは成功作でもあった。それまでの実験体と比べてとても高い知能を持っていたのだ。それゆえ、他の実験体のようにすぐに処分はされず、研究材料として保管されていた。
Lが居るのは研究所の一室に置かれている小さな水槽の中。
そこに数人の研究員が近づいてきた。水槽を持ち上げ、移動する。
最初はどうせいつもの検査とかデータ収集とかそんなものだろうと思っていた。が、なぜか進めば進むほどに胸騒ぎがした。
・・・・・・・・・・・出て行こうと思えば出て行けた。
研究員はみな気付いていなかった。Lが人間並の思考を持っていることに。
Lは生物兵器の類で、遺伝子操作によって生み出された。他と比べて知能が高いといっても元が単細胞生物だし、現在の姿もアメーバが巨大化したようなものだった。研究員の誰も、まさかLが人間と同レベルの思考能力を持っているなんて思っていなかったんだろう。
彼らはLに声をかけることもなければ知能を持つ者として扱うこともなかった。――−-‐ただ一人を除いて。
研究員たちはLの目の前でLを処分するという会話を交わしていた。
Lは呆れたように彼らを見つめ、ため息をついた。
(ボクが言葉を理解出来ないと思ってるんだよね、きっと)
けれどLはしっかりその会話を聞いて、理解していた。
だが身体の構造の違いからか、Lには彼らの言葉を発することは出来なかった。故に、彼らは気付かないのだ・・・・Lが彼らの想像以上の能力を持つモノだということに。
彼らの話によると戦争が終ったらしい。戦争のために開発されたほとんどの物は廃棄になる。Lもその廃棄品の一つだということだ。
(どうしようかな・・・)
Lには”死”というものが良くわかっていなかった。
逃げたほうが良いのだろうか・・・?
しかし逃げると言っても具体的にどうすればいいのかわからなかった。
考えている間にも研究員たちは歩を進めていく。そうして、Lは一つの部屋に連れてこられた。
その直後だ、あの男が部屋に飛び込んできたのは。Lを物としてしか見ていない研究員たちの中でただ一人、Lに声をかけてくれたあの青年。
「待ってください!!」
青年に対して研究員たちは冷たい視線を送った。面倒ごとが降って来た、そんな感じだ。
研究員たちの冷ややかな眼差しにも負けず、青年はきっぱりと言い放った。
「Lは僕が引き取ります!」
・・・はぁ? そんな声が聞こえてきそうだった。研究員たちは唖然として青年を見つめた。
青年は言葉を続ける。やはり青年はLが人間並の知能を持っていることに気づいていた。だからこそ引き取るなんでて言い出したのだろう。
(結局ボクは研究材料でしかないってわけか)
青年は一番熱心にLの研究開発に取り組んでいた。Lの知能レベルに気付けたのもそのためだろう。
研究員たちと青年がもめている。当然だ。すでにLは廃棄が決定しているのだ。いくら青年が引き取ると言い張ってみたところで、すぐに結論が出せる話でもない。
結局、Lの廃棄は延期になり、その日はいつもの研究室へと戻された。
その数日後、Lは青年――万里・裕(ばんり ゆたか)の家兼研究室に移された。
それからしばらくは平和な日々が続いた。今までとほとんど変わることの無い日常。変わったことといえば、青年と会う回数が増えたことと、くだらない研究に付き合う回数が減ったこと。
裕はここに来るたびにLに話しかけてくれた。
「こんにちわ、L」
(こんにちわ☆)
Lの声も表情も裕のもとには届かない。それでも、裕は三日に一度は必ずLに話しかけてくれた。多い時は毎日だ。
あの研究所に居た時とは違う気持ちがここにはあった。それが楽しいとか嬉しいとか言う類の感情であることを知るのはもう少し後のことになる。
変化は突然やってきた。ある日、裕が泥酔して帰って来たのだ。とても憔悴していて、研究に瞳を輝かせていた裕の姿がどこにも見つからなかった。
(裕・・・?)
一体裕に何があったんだろう・・・。
聞きたい・・・・けれどLには人の言葉は話せなかった。
(裕、裕、裕、裕・・・・・!! ボク、裕になんにも出来ないの? 声をかけることすら・・・)
人ならば人の言葉を話すのはきっと簡単だったろうに。
Lはその時初めて自分の姿を嫌になった。人間の姿なら・・・・・。
(え・・・?)
気がつくと、視点が違っていた。
下を見ると足元に割れた水槽があった。
(足元?)
もう一度、自分の姿を見る。それは紛れも無く人間の姿そのものだった。
「裕・・・・・・・」
驚くほど簡単に言葉を紡ぎ出すことが出来た。
裕が振り向く。そしてLの姿を凝視する。
裕が誰かの名前を呟いた。
そして、Lは理解した。今の自分の姿が誰のものなのか。Lが知っている人間は研究所の人間達と、裕と、裕の恋人。全部で十人にも満たない。わざわざ大嫌いな研究員の姿を真似ようなんて思わない。裕は目の前に居る。残る人物は一人・・・・それが今のLの姿。
「裕・・・泣かないで。ボク、裕の笑った顔が見たいよ」
けれど裕は辛そうな顔をするばかりだった。
何があったのかLにはわからなかった。けれど裕は泣いている・・・・なんとかして元気付けたかった。
「ボク、裕が研究に打ちこんでる時の瞳がすっごく好きだよ♪」
俯いたままだが、それでも裕は穏やかな口調で言った。ありがとう、と。
そうして顔を上げ笑いかけてくれた。
次の日、裕は何事も無かったかのようにLの前に姿を現した。
「おはよう、裕v」
ベッドなどがあるわけでもなく、別に寝る必要もないLは水槽があった台の上にちょこんとすわって笑顔で裕を迎えた。
「・・・・・・・・・・・」
裕は目を点にしてこちらを見つめた。
「ゆーたーか?」
「どうしてここに・・・・」
「何言ってんの、ボクはずっとここに居たよ☆」
裕は一度深呼吸して、それから周囲を見渡した。
割れた水槽、そこに居ないL。
「まさか・・・・L!?」
裕のあまりの驚きようにLはコクコクと頷くだけしか出来なかった。
確か裕は昨日もLのこの姿を見ていたはずだが・・・・どうやら覚えていないらしい。
じーっと裕を見つめる。裕はその勢いに圧されてか一歩二歩下がった。
Lはにっこりと笑って子供のような口調で言った。
「うん、えるだよぉ♪」
「どうなってるんだ!?」
「ボクにもわかんなーい。裕と話したいと思ったらいつのまにかこうなってたんだ」
裕は腕を組んで考え込んだ。Lはそんな裕の顔を覗き込んだが考え事に没頭している彼はそんなLの様子に気づかない。
「よし、」
そんな声とともに裕は顔を上げた。そしてLに向かって苦笑いをする。
「とりあえずその姿は止めないか? なんだか精神衛生によろしくないような気がするし」
・・・?
「でもボク研究員の人たちの姿真似るなんて嫌だよ? あと知ってるのは裕と裕の恋人だけだし」
裕がいきなり胸を押さえてうつむく。
「裕!?」
心配そうなLをよそに裕はどこか呑気な、けれど悲しげな笑みを浮かべて見せた。
「あの・・・さ。それも止めない?」
あとで知ったことだが、あの日裕は恋人にふられたのだそうだ。で、ヤケになって飲めもしない酒を飲みまくって泥酔して帰ってきたというわけだ。
「いいけど・・・・どうやって姿決めるの?」
「それについては僕に考えがある」
そう言って裕はLの手を引いて別室へと向かった。
裕に連れられてきたのはどこかのんびりした雰囲気を持つ部屋だった。
当時はわからなかったが今見ればそこは居間なんだろうということがすぐにわかっただろう。
その部屋には所狭しと置かれた雑誌の数々があった。
意味がわからず裕を見ると裕はLの手を引いて部屋の真中あたり、散らばる雑誌のど真ん中で立ち止まった。
「裕?」
「この中から好きな容姿を選ぶってのはどうだい?」
そう言って裕はにっこりと笑ったのだった。