■■ 神様の居ない宇〜第4章・次代の女王 5話 ■■
女王の元に戻った絵瑠を待っていたのは、女王の穏やかな笑みだった。
「おかえりなさい」
にこやかに言われて、絵瑠は戸惑ってしまう。
だって、女王は彼――ラシェルを後継者として見ていたはずだ。女王が能力を譲り渡した相手はラシェルなのだから。
けれど女王は、絵瑠がラシェルを連れていないことに、何も言わなかったし、聞かなかった。
ここまで来る道程で説明して、すべての事情を知った結城もうろたえているのがわかる。結城はとてもストレートにを感情出すから、何を考えているのかわかりやすい。
絵瑠は、女王が何も言わないならそれでいいと思っていた。
女王の目的は新しい女王を見つけ、自分の生まれ故郷に帰ること。女王は絵瑠の性格も多少は知ってるから、絵瑠が目的を果たさずに帰ってくるはずはないこともわかっているだろう。
だから、何も言わなかったのだろうと思う。女王にしてみれば、目的さえ果たされればそれでよいのだ。
けれど結城はそれでは納得しなかったらしい。
結城から見れば、ちょっと前まで女王は敵であり、世界を滅ぼす存在と教えられていたのだ。
その女王が、実は誰よりも世界のことを考えており、世界を存続させるために必死になっていると言われてもにわかには信じがたいだろう。
だから、聞きたかったのかもしれない。結城の中に在る二つの事実。そのどちらが正しいのかを知るために。
「・・・・・・何も聞かないんですか・・・?」
結城の問いに、女王は静かに頷いた。穏やかな笑みは崩さない。その笑みは作ったものではなく、本当に満足げな穏やかな笑みだった。
「ええ、聞く必要は無いもの。私は絵瑠に任せると言った。そして、絵瑠の性格も多少は知ってるつもりよ。
絵瑠だったら・・・・・すべてを終えるまで帰ってきたりはしないでしょうね。違う?」
その通りだ。結城も頷く。
結城との付き合いは昨日今日からではない。結城だって知ってるはずだ。絵瑠が、一度決めたら絶対に曲げない、どんな手段を使っても目的を果たす性格の持ち主であるという事を。
「わかってるだろうけど一応報告しとくよ。ボクが新しい女王だ」
誇らしげに言って、それから少し拗ねたような口調に変わる。
「・・・・・・代理だけどね」
ぷいっと不機嫌も露に言った絵瑠に、女王も結城も小さく笑いを漏らした。
不機嫌どころか感謝せねばならないのはわかっている。
結城に女王の後継者の魂を吸収させたとて、結城がそれを使いこなせるとは限らない。どれどころか、その力に負けて結城が死んでしまう可能性だってあったのだ。
それを彼――レイは絵瑠自身が女王の力を使えるようにしてくれた。
感謝するべきなのだろうが、やはり自分では本当の女王になれないということが、少しだけ絵瑠の機嫌を斜めにさせていた。
「いつ頃行くの?」
さらりとした口調で、絵瑠が口を開いた。
さっきまでの不機嫌な様子が嘘みたいな早変わり。女王はその唐突さに少し面食らっていた。
「え? ええ・・・・・出来るだけ早く。貴方さえ良ければ今すぐでも良いと思ってるわ」
「それじゃ、その前に聞かせてもらって良いかな」
女王の力を得てある程度の過去は見れるようになっていた。けれどそれでも、わからないこともある。女王がいなくなる前に聞いておきたかった。どうして世界を創ったのか、この世界はどんな歴史を歩いてきたのか。
「何を?」
わかっているくせに・・・・・・・女王はしれっと聞き返してきた。
「わかってるくせに聞き返さないでよ。ボクはアナタの口から聞きたいんだ。この世界の成り立ちを」
女王は俯き、会話が途切れ沈黙が訪れる。
「そうね・・・・・。私は、日本って国で、幸せに暮らしてた。私は人間ではなかったけれど、皆優しかった。
・・・・・・付喪神って知ってる?」
「付喪神?」
聞きなれぬ言葉に思わずオウム返しに問い返す。
女王は寂しげな笑みを見せて続きを口にした。
「付喪神というのは古い物に宿る魂みたいなもののこと。その物が酷い扱いを受けていれば人間に牙を向けることもあるけど、大事にされた品はその持ち主を守ってくれるの。
私が生まれたのは古くもない、手作りの絵本だけど、間違いなく、私はそういった存在だったんだと思う。
私は本の中にしか無い事象を現実に引き込むことが出来たの。
・・・・・・私は、知ってた。この力は、私が生まれ育ったこの地だからこそ、受け入れてもらえたんだって。
だけどある時、村がなくなってしまった。水の底に沈んでね。
私は他の居場所を知らなかった。居場所を無くした私は、自分の居場所を自分で作ることにしたの。
それがこの世界の始まり。
ここは、本の中の世界なの。真っ白な本の中に、本の付喪神である私が造り上げた世界。
私が過去を自由に見れるのはね、この世界そのものである本を持ってるから・・・・・・」
そう言って女王は手を上にかざした。女王の手の中に赤い装丁の――結構頑丈な作りだ。日記帳の様にも見えた。――本が現れた。
題も何もないその本をめくると、そこにはページの真ん中辺りに小さな絵が描かれていた。次のページもめくってみたが、絵こそ違うもののその形式自体は全部同じだ。
「これが?」
何も書いてないではないか。そう、思ったがその絵に触れた途端、認識が変わった。
絵に触れた瞬間、頭の中に飛び込んできたのだ。その絵があらわす時代の情景が。
どうやら本と言っても普通の本とは違うらしい。
「現実世界でこの本を見たら、文字が並んでるだけの普通の本よ」
女王がクスクスと笑いながら言う。けれどその笑いも長くは続かず、すぐに真剣な表情に戻った。
「この世界に来て最初にしたことは一緒に過ごせる人を創る事。でも、創れなかった。
私が造った者は、すべて、完全に私の支配下に置かれてしまった。自分の意思を持つ者は創れなかったの。
じゃあ別のやり方をしてみよう、そう思って造ったのが箱庭。箱庭の中で進化の過程を辿るようにすれば、意思ある者が創れるかと思った。でも、結局上手く行かなくて・・・・・・落胆してた時に、偶然見つけたの。私の意思の外で生まれた命を」
「それが、新たなる魂・・・・?」
絵瑠の問いかけに女王は黙って頷く。
「いいえ、その彼女は今で言う新たなる魂とは少し違う。私は彼女をここに連れてきたわ。でも二人だけじゃやっぱり寂しくって。彼女に本、つまり世界に少しだけ干渉出来る力を与えて、彼女に二つ目の箱庭を造ってもらったの。彼女は私ほどの力を持っていなかったから、だから私と違って彼女が作った魂は自由意思を持っていた」
口には出さなかったが、本に干渉する力というのがここでいう創造能力のことだろう。本に干渉する能力は女王が一番強い。女王以外の者は周囲にあまり多大な影響を与えるような干渉は出来ない。その唯一の例外が、箱庭。一つの別宇宙を造ること。
「そうしてここの住人が五十人くらいになったころかなぁ。もうそろそろいいかなって。
でもその矢先に事件が起きた。自由意思を持つ魂の中に、彼女――今で言えば女神兼管理者だったんだけど、彼女の力及ばぬところで生まれた魂が現れたの」
「それじゃ、その魂が・・・」
「そう、新たなる魂。その時は私、その子を気にも留めなかった。他の子と同じように、死ねば転生して新しく生まれ変わると思ってたから」
「ってことは、その子はどこか違ったわけ?」
絵瑠の言葉に、女王の表情が一気に暗くなる。
女王は暗い表情のままゆっくりと頷いた。その表情には多分その魂に対するものだろう、同情の色がありありと表れていた。